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パートナーからもっと愛されたいと願うすべての人へ

質問箱にいただいていたご質問にひとつひとつ回答できておりませぬが、そちらも徐々にスタートしています。ただ、数が多いので時間がかかっています。なにとぞ、順番をお待ちくだされ。

今日は、これまでの活動で総合的に多かったお悩みについて書いてみたいと思います。それは、恋人や配偶者などのパートナーから、満足に愛されないというもの。

「パートナーからの愛が足りない」と悩む人に共通することがひとつあります。それは、その相手が人を愛せるものだと思っているということ。相手が自分を本当に好きなら、当然自分に真の愛を向けられるはずだと信じているのです。

さらに女性であれば、相手の男性が父のように広く大きな愛で、煉獄さんのように勇敢に、ゼウスのように力強く、イエスのように慈悲深く、ガンジーのごとく博愛に、神のように無条件に自分を愛してくれることを期待している。男性であれば相手の女性が、少女のように純粋無垢に、おっぱいのように柔らかく、カーリーのような狂気の強さと、女神アフロディテのような色艶と、母のような慈悲深い優しさと、聖母マリアのような限りない母性をもって愛してくれることを期待している。

互いに、好きならそれが発動できるものだと思っているのです。私たちは己の知らずのうちにも、そのような完全完璧な無償の愛を異性に期待しています。

けれども、人を真に愛するというのは、それ相当に成熟した人にしかできないことです。言い換えれば、ほとんどの人にはなかなかできないのだということ。私たちはまだまだ未熟で、道の途中にあるのですね。

他者を愛するというのは簡単なことではなく、むしろ修練を要する非常に難しいことです。経験と勇気と反省と忍耐とが伴うことです。
そのスキルは生まれつきに、あるいは本能的に備わったものでもなければ、恋に堕ちただけで自動的に発動するようなものでもありません。どうして彼は私を愛してくれないの?と泣くあなた。答えは「あなたたち二人に愛する修行が足りないから」です。

私たちは、たとえば「本物の愛って素晴らしい!」と思ったからと言って、一瞬で真の愛を反映させて行動できる人にはなりません。それは「釈迦すげえ」と思ったからといって一瞬で悟りを開いた徳の高い人になれないのと同じです。

ましてや、人がちょっと恋に落ちて「この人とチョメチョメしたいな」と思ったからといって、「ただいま天から降りてきた性欲により、われの真の愛が発動した!!われは博愛に目覚めたのである!!すべての人よ、動植物よこの宇宙のすべてよ。森羅万象のすべてに、幸あらんことを…羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶ァ~(般若心経)」ってならないのですね。

愛とは人生修行によって磨かれる、人類究極の技。
体得最難関の、至高の”スキル”なのです。


ですから、私たちはお互いに未熟な愛を持ちながら生きているということ。それを育てるのは一朝一夕にはいかないことで、それを一緒に育てる関係性こそが良い関係だということなのです。未熟な者同士が付き合うというのは、ガタガタの関係を修復しながら、その雨漏りだらけの愛の下で一緒にいるということなのです。あなたの相手は達観した人類愛を持つ煉獄さんではないし、究極の母性愛をもつ聖母マリアでもありません。傷ついていて未熟な、ひとりの人間です。

あなたがパートナーの愛が足りないことに悩んでいるのであれば、まず間違いなくあなた自身も相手を真に愛することができておらず、相手もまた同じであるはずなのです。お互いにまだまだ未熟な者同士なのですね。だから、相手に最初から完璧に人を愛せるだろうと期待をしてもダメです。そもそもそういう相手と未熟な自分は、釣り合わないのです。

ですから、まずは「どうすれば相手が自分を愛してくれるのか」を考えるのではなく、「愛するスキルを一緒に磨いていこう」というところに焦点を当ててみましょう。

そして、せっかく関係を紡いでいる相手なのですから、相手が他者を愛するスキルを上げるための協力をしていきましょう。これが回り回って、あなたにも返ってくるのです。(離れたほうが良い相手もいますから、すべてのケースで関係を維持しましょうという意味ではありません)

パートナーシップとは、あなたが相手の愛を浴びて味わって良い気分になるためにあるのではないのですね。逆に言えば、一緒に成長するのが目的で出会ったということです。

さて、どうすれば相手が他者を愛するスキルを上げるためのお手伝いができるでしょうか。これは、あなたが手本となるように動くことです。あなたが自分や他者を愛して、それによる喜びのバイブスを放つこと。

なぜなら、「愛しなさいよ」「愛してたらこうやって動くでしょ」と言葉で言っても通じないからです。笑って欲しい相手に「笑いなさいよ」「ほら口角を上げて!」「目尻を下げて!」「いいからやれ!」と言っても笑いが起こらないのと同じです。そうしてあなたが怒っていたら、逆にますます笑わなくなってしまいますよね。相手の笑顔がほしかったら、あなたが横で楽しそうにゲラゲラと笑っていれば良いのです。

愛するということも、同じです。あなたがなにかを愛してその喜びを発していると、それはそれを見る相手にとっても、愛する喜びを感じる振動になるのですね。

そしてこのためにまず第一にするのは、自分を愛するということです。
もうこれがね、絶対履修の必須科目なのです。しかしこれを伝えると、

「頭ではわかっているけど、なかなかできない。自分を大事にすると他者をないがしろにし、他者を大事にすると自分をないがしろにしてしまう気がする。だから、どちらかひとつしか選べないと考えてしまう。それから、自分を愛するとどこまでも身勝手になってしまい、人から嫌われる気がする」という人がとても多いのです。しかし、そう考える人は、なにもわかっていません。頭でもわかっていないのです。

考えてもみてください。もしも聖母マリアが「私はね、自分のことなんて悲しい目に遭っとけばいいと思うわ。健康的で愛に満ちた生活なんていらないの。なんなら自堕落に、嫌いなことばかりやって苦しんで、ストレス過多に負けて酒を浴びるように呑んで、ベツレヘムのストリートで潰れていればいいのよ…でも私は博愛だから、他者は健康的で幸せに生きるべきだと思うわよ。いいヤツっしょ?おお神よ、彼らをすべての苦難から救いたまへ…え?私の苦難はどうなるのかって?フフフ、私のことはいいの。今夜も潰れるまで飲むんだから。燗は温めで、肴は炙ったイカで、流行りの歌などなくていいのよ。んだがら放っといてくんろ。さあみなさんも、自分自身のことは惨めにさせて、他者の幸福を願いましょう」と言っていたら、どうでしょう。「マリアさまご乱心か」と思いますよね。話の辻褄が合っていないのがわかると思います。

愛とはその本質からして、自分だけに、あるいは自分のパートナーだけに、人を選んで向けるような性質のものではないですもんね。自分にだけ優しくて他の人には冷酷であるとか、他者にはみなに気遣いを向けるけれど自分には興味関心すらないのであれば、それは愛ではないということです。それは恋や承認欲などの利己心から生まれるものであり、「チョメチョメしたい」「釈迦すげえ」というのと同じ段階にあることです。これは掘り下げれば「自分が愛されたい」という欲求の現れです。

ここであなたが、そうか!自分のパートナーは、自分が愛されたくて「チョメチョメしたい釈迦すげえレベル」だから私を愛せないのか!と考えたとしたら、胸に手を当てて考えてみて。あなたが「相手から愛されたい」と望んでいるのは、それとピッタリ釣り合っていると思いませんか。だからそういうときの私たちって、やっぱりお互い様なんですよね。

愛されたいのであれば、あなたなりに、いろんなものに愛の目を向けてみましょう。自分や、他者や、この世界を、大切に思ってみましょう。自分の心臓がドクンドクンと稼働していることを思い出しましょう。あなたのハートは今も一所懸命に動いています。それは全宇宙とのコラボ活動だということを忘れずに。

かわいい絵本や、かっこいいクワガタや、活気のある居酒屋や、鏡のようなしんとした湖や、夢のある貝殻や、雲の浮かぶやさしい空や、愛らしいイチヂクの葉っぱや、壮大なグランドキャニオンや、涙が出ちゃう忠犬ハチ公のお話のあるこの世界と、そこにぽつんと生まれたあなたと、小さいときからいっぱい傷がついて愛することが難しくなっている誰かを、あなたなりに愛しましょう。

え?できない?当たり前です。最初は無理やりやることですからね。できないから想像してやってみるしかありませんし、それもなかなかうまくできません。なぜなら、やってきていないからです。慣れていないだけなのです。

でも考えてみたら、これはすごく嬉しいことですよね。だって、あとは繰り返して慣れればいいだけなのですから。やったね俺たち❣目の前に愛に生きる道があって、あとはそれを歩くだけなのです。

この世のものって、かわいくて憐れなものばかりです。
自分を含めすべての人がみんな、キラキラしてふわふわでホヤホヤに小さかったことや、今どんなに元気でも若くても、みんないつか必ず命の活気が止まって死ななくてはならないことを、思ってみてください。そのとき、愛する人とも物とも、すべてとお別れするのです。それだけで、みんな大変です。生きるあいだもみんなみんな、必ず誰かを恋しく思っています。そしてそれらとどこかで必ず切ない別れを経験します。みんな老いて消えて別れていく存在なのです。物理世界に存在する以上、根本的な苦のない人はひとりもおらず、大変でない人なんてどこにもいないのですね。

それを本当に思ってみると、誰にもわけへだてなく「幸せであっておくれ」という思いに襲われます…人間ってそういうところがありますよね。こういう感覚って、どこからやってくるのでしょうね。

こんな感覚を意図的に味わってみる時間を増やして、自分やこの世のいろんなものを愛でて、憐れみをもって見てみてください。そこに自分を入れることを忘れずに。ほら、アンタも食べたり寝たりして生きていて、めっちゃくちゃかわいいんやで!!なに?そんな風に思えないじゃと?!それはまだまだ修行が足らん!足らんだけなのじゃ。喝!!

最初は難しいのですが、ちょっと厳しく規律的にでもいいので、自分を愛し大切にしましょう。大宇宙の中のひとつの惑星に乗って、小さな命を燃やして生きている自分。その自分を愛しむ時間を持つ。それをしつこく反復し反復し、慣れていくこと。これが超大事です。愛って、ちょっと意外なことに、練習して身につけるものなんですね。これは神経と脳細胞を働かせてやることです。ほとんど運動神経で身につけるものだと思ってください。

第一、これをここまで読んでいるだなんて、めちゃくちゃかわいいでしょうが。うるせー!シワがあるだとかハゲだとか痩せてるだとか太ってるだとか仕事ができないだとか嫌なやつだとか、ひとつも関係ないだろう!かわいいったらかわいいんだよ!つべこべ言うな!パリコレモデルとビジネスを大成功した大金持ちと悟りを開いた人だけがかわいい存在なのか?!そういう話ではないだろう!(和尚化がとまらないw)

それから、自分の求める夢のためなら、いっちょ腕をまくって、忍耐と挑戦と試練と鍛錬とをするチャンスを与え、それに根気よく付き合ってあげましょう。愛は成長を喜ぶものですから、甘やかすのが愛ではないですよね。それでは停滞してしまうので、自分を愛するなら、必要な我慢もするのです。

こうして自分を愛して、世界を慈愛のフィルターで見ることに、慣れて、慣れて、慣れて、慣れること。するといつの間にか、あらら?「どうして愛されないの!!どうすれば愛してもらえるの!!」と悩んでいたあなたはどこに行ったのでしょう。愛することの感動と喜びと奥深さに目覚めたあなたはそのとき、きっと素敵なパートナーシップを築いていることでしょう。あるいは、ひとりで生きることや、友人たちに囲まれた暮らしがとても快適で面白くなっているかもしれませんよ。

というわけで今日は、パートナーに愛されたい!ということで苦悩する人への、暑苦しい渾身の記事でございました。愛されることより、愛することを、がんばれ!いい未来が待ってるよー!

それでは、またね。

毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)