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「依存系うさぎ男子」よりも「自立系馬右衛門さま」

みなさん、こんにちは。週末の時間をいかがお過ごしですか。私めは今日は巷で「うさぎ系男子」なるものが流行っているという情報を得ましてね。それをサラッと調べてみましたところ、なんとこんなことを知りました。

現代の日本の若い女子には、うさぎの耳をつけたかわいい男子に

○次はいつ会えるの?
○やっぱり帰りたくない
○もっとギュッてして
○俺以外見てんじゃねえよ
○嫌いにならないで

と言われて甘えられたいという願望を持つ子が少なくないのだそう。アハ…

私であれば、私の自宅で一緒に過ごしていた男子どのから上記のいずれかの発言が複数回にわたってみとめられた場合、その御方の御荷物を御渡しして御玄関まで御連れし御外に御出になっていただき、笑顔でドアを閉め施錠いたします。

なんだ貴様のその軟弱な精神は。お前は幼児ではないし、アタシはアンタの母ちゃんじゃねえんだぞ。と思ってしまいますし、

万が一「ねぇ待って捨てないで」などと言われようものなら、いきなり軍服に着替え「そこに直れ」といって竹刀で脅したうえ、ブートキャンプと名付けた虚偽の訓練施設へと連行し、同施設でうさぎ跳び1万回を強要したなどとして誘拐罪と傷害罪の疑いで逮捕される可能性がございます。
昭和生まれの俺なのさ…(※昭和生まれの人が皆このような発想であるという意味ではございません。凶暴ですみません。私めに限った例でございます)

とにかく上のようなセリフというのは、もちろんなんだか微笑ましいし、ふわっとかわいいなとは思うのです。が、これを言うほうも、それから言われたいと望むほうも、己の承認欲求や寂しさを埋めてくれる相手がほしいのです。程度にもよりますが、その関係は共依存的なものだと言えます。

私も同じように、以前は「アタシも狂ったように束縛されてみたいわ」などと考えたこともありました。未熟な私には、そのような妄想は萌えの対象だったのです。

そして今になってみて思うのは、それは自分で自分を大切にできていなかったからこそ望んでいたものであるということ。それから、こうしたメンヘラ的な恋愛をするなら、自分自身を未熟だと分かっているほうが良いということ。とにかくまず、ここからスタートするしかないんですね。もちろん、そこからのスタートでいいんです。じっちゃん、オラ強くなりてぇ!の精神で行きましょう。オラたち、ここから修行しちまえばいいんだかんな!行くぞヤムチャ、クリリーーーン!(ごめん)

大切なのは、そこから自分の自立心を育てられるのは、自分だけだと知っていること。周りの人もそのために存在してくれているともいえますが、他者ができるのはあくまでもサポートすることだけなのです。だから、恋愛をすることで露呈する愛に飢えた自分のことは、自分で愛し育てて大人にしていくのです。他者に頼ることも、それをわかった上でするということですね。

お互い精神的に自立した、依存のない関係って本当に素晴らしいものですね。たとえば上のメンヘラ的なうさぎ男子のセリフを、もうちょっと自立した男性バージョンに変換をかけてみると、

○次はいつ会えるの?→また逢う日まで、達者でいてくれ。
○やっぱり帰りたくない→別れがたいが、ここで失礼いたす。
○もっとギュッてして→(黙って自らギュッとしてくれる)
○俺以外見てんじゃねえよ→あの花はかわいいな。あの夕日はきれいだな。あの御方は立派だな。(むしろ自分以外の素敵なものや人を見せようとする)
○嫌いにならないで→かたじけなかった。己が情けのうござる。嫌われても致し方なきことだが、次度は改める。許してくれ、おみつ…

このほうが、強くて優しくて自立していて、素敵だなと私は思います。え?なぜ武士言葉なのか、なぜ相手がおみつなのかって?いや、そこはほら、ちょっとした演出でんがな。

ついでに、それぞれの言葉に対する、自立した素敵なおみつの返答をシミュレートしてみると、

○また逢う日まで、達者でいてくれ→ええ、あなたさまも。(微笑みながら)
○別れがたいが、ここで失礼いたす→さようなら。お目にかかれて嬉しゅうございました…(見つめる目が謎にキラキラ)
○(黙って自らもっとギュッとしてくれる)→(ただその心地よさに酔う)
○あの花はかわいいな。あの夕日はきれいだな。あの御方は立派だな。→(どれに対しても嘘のないリアクションを見せつつ、謎に嬉しそう)
○かたじけなかった。己が情けのうござる。嫌われても致し方なきことだが、次度は改める。許してくれ、おみつ…→私のほうこそが不届きでございましたのに。ご容赦ください馬右衛門さま…→なにを言うおみつ!恥ずべきはそれがしだというのに!→ああ馬右衛門さま…→おみつッ…→(ひしっ…!)

おっ…といけねえ。妄想劇場につい火がついちまったい…
いや~男と女が礼を尊びながら互いを思いやる姿というのは、美しいものじゃあありませんか。互いに信じあい、人格と自由を尊重しあっていて。

だからね、お母しゃん、他になにも見ないで、ボクしゃんのことだけを見ていて。しゃみしいからどこにも行かないで。つーか俺以外見んじゃねえよ。あーんでも嫌いにならないで~というような重い依存を持った相手との関係を夢見ているという女子は、それは相手にとっても愛に飢えた苦しみであるということを考えてみて。そしてぜひとも、成熟した大人同士の互いの尊厳を守る愛の喜びを、胸に描いてみてください。

だってね、依存を目的にした関係を欲しがる男子にとっては、相手があなたでなくても、依存させてくれるならば誰でも良いのだもの。そんな関係を夢見るだなんて、ちょっと寂しいじゃない?
それから、相手の依存を望む女子に現在すでにパートナーシップがあるとすれば、その人はその関係に必ずなにかしらの問題を抱えているはずなのです。

片方が一方的に、もっと抱きしめろ、俺だけ見ろ、嫌いになるななど、ああしろこうしろと注文をつけて自分の承認欲求を満たそうとするばかりの関係よりも、互いの喜びをそのまま己の喜びとする関係に、愛を見い出せますように。

というわけで今日は、まとめると依存系うさぎ男子よりも自立系馬右衛門さまが良くないかい?という、時代の流れについていけない中年女子の戯言でございました。うさぎより馬ってなんでしょね。ごめ~ん。笑

それでは、またね!

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