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776/1096 あるがままの自分とは、今のその自分

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で776日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

776日目、もう700日目台もいよいよ残り1ヶ月を切ってから気がついた。今年中に800日目がやってくるのだなあ!800日目以降は今より断然ホクホクした気分のような気がする。

さて、この毎日投稿をいつも読んでくださっているお方にしかわからないネタだけれども、あのいつもテレポートする人形についての続報がある。しばらく前にガラスの食器棚に閉じ込めておいたところ数日で消えてしまったところまで書いたと思うが、なんと昨日ひょっこり現れたのだ。突然オリーブオイルの瓶の裏に立っていた。母は驚愕のあまり涙ぐむ始末。わたしはこれを楽しんでいるけれど、そのうちわたしまで消えてしまったら、うん、宇宙に行ったと思ってね。(笑)

というわけで、今はそのフィギュア人形は蓋付きのガラス瓶に捕獲している。このまま様子を見てみよう!

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わたしがよく受けるご相談に多いのが、「あるがままの自分を受け入れたいのだけれど、どうしてもできない」というもの。

でもわたしは、ある意味ですべての人が、「あるがままの自分を受け入れて生きている」と思うのです。みなさんは、どう思いますか。

「あるがままの自分を受け入れたいのだけれど、どうしてもできない」という人は、「あるがままの自分を受け入れたいのだけれど、どうしてもできない」という自分を受け入れて、そんな人として生きています。そういう人としてすでに存在しています。そういう人だと自分でも認識しています。それを体現しているのですよね。それはある意味で受け入れて生きているのと同じようなことだと思うんです。

あるがままの自分を受け入れることは、とても簡単だとわたしは思います。
でも、簡単すぎるがゆえに、ものすごく難しいのだと思うんです。

自分のことが嫌だとします。
欲深いから。嫉妬深いから。容姿が嫌いだから。お金がないから。才能がないから。目立たないから。他人が苦手だから。度胸がないから…

そういうときに、自分はそういう人なのだなと、一旦諦めてしまうんです。
自分は嫉妬深い自分を嫌だと思う人なんだな。自分の容姿が嫌いな人なんだな。お金がないのが嫌なんだな。まずはこうして、自分の状態をそのまま、「そうか、へえ、そういう人なんだな」と思うこと。

なにも足さなくていいしなにも引かなくていい。(これを山崎法と言う。嘘だけど)学ばなくても投資しなくても、今すぐできること。とても簡単で、でもとても難しい。諦めが、つかないからです。

実際にやってみると差が感じられると思いますが、「わたしは欲深い自分が嫌だ!」と思うのと、「そうか、わたしは欲深い自分を嫌だと思う人なのか…」と諦めるのとでは、大きな差があります。前者は自分の中に入って感じていますが、後者は自分を他人を眺めるように観ている感覚です。

こうしてまず、「自分のことを、いじくって変えることのできない他人のように観る」こと。この最初の一歩が大事だとわたしは思います。

自分のことを「変えられるもの」「自分の好きにできるもの」と考えるのではなくて、「預かったもの」「自分のものではないもの」「自分にはどうにもならないもの」として観てみることが大切だと思うんです。だから、本来は、受け入れるも受け入れないもないのですよね。受け入れる、受け入れない、という二択から脱却することだと思うのです。そこを突破する。

「あるがままの自分を受け入れていない」と自分では思っていても、もうあなたは「その自分として”生きて”」いますよね。わたしたちは、すでに自分という人として存在しています。だからもう、それを受け入れるためのなにかを、しなくていいんです。「もうこれですでに受け入れていると同じなのだな、これが自分なのだな」と諦めることをいうのだと思います。

そこから、その自分を生きていく。
夢見る自分でないけれど。
理想の自分ではないけれど。
今はそんな自分ではないのだから、仕方のないことですよね。
そして、その自分さんにとっては、あなただけが頼りなのです。

あなたは自分にこう言っているのです。
「わたしは情けなくて、お金持ちではなくて、才能もなくて、平凡で、つまらなくて、立派じゃなくて、大した人間ではないのです。そんなわたしだとダメですか。この自分で、楽しく生きていきませんか!自分の面白いと思うことをして、生きていってみませんか」と。

そしてあなたはそれに返して言っているのです。
「嫌だ。そんな自分じゃわたしは満足できない。人に勝ちたい。立派だと言われたい。すごいと言われたい。お金や才能やあれやこれがないと楽しくない。今のあなたなんて認めない。これでいいだなんて諦めてしまったら、わたしは腑抜けになってしまう。なんの夢も叶わない。いいはずがない。許されない。わたしはあなたを捨てたい」と。

けれども、今のわたしたちには「今のこの自分」しかいません。
それはある意味で、いちばん受け入れたくない、とても厳しいことのように思えたりもしますよね。けれども、それがあなたの預かった人なのですよ。そこから歩めばいいのです。それしかできず、それでいいのですから、なんとそれで、100万点で大丈夫なのです。

あるがままの自分を受け入れるということを、あるがままの自分をすべて好きになる、すべて許す、すべて愛す、ということだと思っている人が多いのだと思うのです。けれどもそうではありませんよね。自分を嫌っている、自分を愛せないという人は、それが今の「あるがままのあなた」です。それでいいんですよ、自分のあれこれにダメ出しがある自分で生きる。そこを問題視すれば問題に見えますが、問題視しなければ問題ではないのです。いいんです。そこから生きましょうや!!

今の自分を明らかに観て、「そうか、これが自分か。この自分が、自分か」と思うだけのことなんですよね。あなたは他の自分を、持っていないのですから。今の自分を認めずして自分を愛そうというのは、自分を素顔を見ずして自分の顔を好きになろう、という試みと同じことだと思うんです。

今のあなたは、今のあなた以外のあなたを持っていません。
そのあなたしか持っていません。ないものはないんです。にゃーもんはにゃーの。(笑)認めなくたって受け入れなくたって、そうなものはそうなのですよね。だから、それに対してできることは、一旦諦めることです。

たとえば怪我をしていて、怪我をしていることをどれだけ「受け入れられない、元気だと思いたい」と言っていても、怪我をしているのです。もうそのあなたを生きています。

さすらば、「ああ自分は今怪我をしているのだな」と諦めて、そこから手当てをするなりしてみるのがいいですよね。そこから生きるのがベストです。「元気だと思いたい」「元気だということにすれば元気になるはず」と言って怪我を見て見ぬ振りをしていても、怪我をしているのですもんね。

わたしたちは、今よりもベターな自分というものを、今この瞬間には持ちえません。だから毎瞬毎瞬の自分が持っているのは「今ここにいる自分だけ」だということを今一旦知ることが大事だと思います。受け入れても受け入れなくても、すでにその自分を体現してその自分を生きていますから。

他者を愛するというときには、その人を自分の思い通りに変えようとはしないですよね。「変われよ!愛したいんだからこちらの気に入るように変われよ!」って、言いませんよね。このことはわかりやすいのです。そんなことを思ってしまうだなんて、もうすでにその相手のことが大好きですよね。

同じように、自分を愛するというとき、自分にもその「変えようとしない愛」を向けていますか、ということなんですね。それに、自分に対して「ねえ変わってよ!」と思っている時点で、ほんとうは自分に首ったけなのです。

わたしは自分を、しょうもないな~とも思います。(コソッ
でもあまり自分の悪口を言うのも、神さまに悪い気がするんです。この世を楽しく体験するのに十分すぎるほど十分な人間一体を頂いたと思うんです。わたしにとっては、天から届いた壇珠さんが、生きる頼みの綱です。壇珠さんがいないと、わたしはこの世で生きられないですもんね。

壇珠さんは老いながらこの世を生きてくれており、そこが可哀想で憐れだなと思います。壇珠さんは哺乳類なのですが、動物なのでいつか弱体化して呼吸が止まって死にます。動物なのであれこれ怖いものがあり、エゴがあり、愚かですが、生きてくれているので文句を言えないと思うんです。だから、こんな人じゃ嫌だなんて、とても言えないと思ったりします。

自分の親に思うように。
自分の子に思うように。
愛するペットに思うように。
思い通りに変わらないからといって、いじめ抜いてはいけないですね。

ほんじゃいいよ!!こんな自分でいいよ!!
もういいから遊ぶよ!!
もういいから楽しいことして死んだる!!
これしかいないんだろ!!じゃあいいよ!!
ほんじゃ自分にケチつけてもしゃーないのなら、もうあとは少しでも楽しんで生きるわい!!な、神さま!文句言うのやめるわ!

と、開き直って暴れて癇癪を起こして、ばーかばーか、うわーん!!と、子どもになって泣いて、親のバカ、先生のバカ、警察のバカ、宇宙のバカ、神さまのバカ!!と言って、思いのままに怒ってみたこと、ありますか。(笑)

その暁に、「ねえあなたは自分のことを受け入れられる?」と誰かに訊かれたとき、

「受け入れられるもられないもないよ。これしかいないんだから」と心から言うとしたら…そのあなたは、きっと”自分を受け入れる・受け入れない”で悩んでいるあなたとは、何かが決定的に違っています。「そんな諦めなんかじゃ意味がないに決まってる!ただの根性なしだし、ただの落ちぶれじゃないか!」と思う人ならなおさら、あーっきらめた、あっきらーめたー!と歌ってみてね。やってみないとわからないことってあるものです!!

あるがままの自分、”好き”でなくてもいいのです。
そんな自分をそのまま大事にいたわって、そこから生きていきましょう!
この世を生きるのは大波小波があってそれなりに大変ですから、天からもらった自分さんをあまりいじめず、いたわって元気づけて、楽しいことに連れ出して、冒険していきましょう!

というわけで今日は「あるがままの自分を受け入れられない」というご相談に、そんなこたぁもうできてるんだから忘れよう、それよりも、こちらが背中を向けて不合格を出し続けて、独りぼっちにして悲しませてきてしまった自分の手を引いて、その今の自分を楽しませながら歩んでいこうぜ!というお誘いのシェアでございました。勇気を出してそう気持ちを向けてみると、ひっくり返るものがありますよ!

それではまた、明日ね。


毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)