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704/1096 だらしなかった自分と精神世界のこと

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で704日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

704日目。人にはいろいろな”当然”があるものだなと思う。その人の世界ではそれが絶対だというもの。それは人それぞれ違うのだけれど、それを尊重しつつも自分の”当然”も尊重することはできる。
これがなかなか、難しいけれど。

わたしは、ぶつかったら、大抵のことは折れたほうがいいと思う。ほんとうに大抵のことは大したことがないし、どちらかといえば自分の中の”当然”を崩してみるほうが学びになる。それを崩せないでいるから、ぶつかるということが起こるのだと思う。

でも「ここはどうしても譲れないぞ」ということが出てきて、それが相手にとって残念なことのようであれば、たとえ自分が正しい気がしても、こちらが譲れぬことを謝ったほうがいいのだと思う。

侮辱されたのでないかぎり、怒ることなどないのだろうと思う。まあ穏便に、まあ仲良くいこう。それでいいのだと思う。

そういうときに、自分が違った考えを持っていると伝えつつも無難にやり過ごしたことを、だらしないだとかダメだと思う前に、自分でそれを意図的に選択したのだとハッキリ思えていればいいじゃないか!!と思う。
どうしても譲れない線を引いて十分に検討したら、あとは自分の宇宙と、仲良くしよう。それも素敵な選択だね!

毎日投稿を書くときにも、自分が思うことを毎日毎日数千字も綴るのだから、それを大切にしよう。

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みなさんは、この星の知的生命体として生きておられて、なにを難しいと感じますか。わたしは、我ら人間のつくる社会において、人間関係やお金や健康のことがなかなかハイレベルな学びだと思います。だから、それらについて一切の問題や摩擦がないという人のほうが、圧倒的に少ないのだと思っています。

だからやはり、突き当たる問題というのは大抵人間関係のことか、お金のこと、健康のことですよね。パートナーシップのこと、上司の部下のこと、親子のこと、仕事のこと、消費や収入のこと、食べ物や習慣のこと…

そこから、近年は「それらがうまくいかないのは自信がないからだ」「執着があるからだ」というように、メンタルの問題だと考える人がものすごい勢いで増えましたよね。わたしはそのことを、良いことだと思っています。皆さんはどんな風に考えますか。

そのことで、「人間関係やお金や健康のことだけでなく、精神世界のことまで問題として加わってしまった」という感覚にある人もおられるようなのですが、自分の精神について見てみようという思いと出会うことを、わたしは素晴らしいことだと思っています。

わたしは自分が学ぶのにぴったりと必要なだけ、マイナスなスタートでした。生まれた家も貧しかったし、家族関係は非常に悪くて、結局一家が離散してしまったし、事業に失敗したり無一文になったりホームをレスしたりしてしまって。身体が弱くて手術回数も多めだし、しかもわたしの精神が軟弱であったために、なんでも行き当りばったりで…
三日坊主、怠け者、優柔不断、問題を後回し。それらもあって「人間関係」「お金」「健康」にいつもいつも問題がありました。

友だちや協力者ができないのです。それから、なぜか喧嘩上等の四文字を脳内から消し去ることができず、恋人や夫婦の間にも血を見てしまうのです。それから、お金を稼げない。勤めに出ても、やはり喧嘩上等の四文字か、または極端上等の四文字がチラついて心が暴れてやめてしまう。長い間カツカツでした。なのに浪費してしまう。

わたしはあんまり自分が衝動的でだらしないので、「自分は、単体で人間の持ちうる典型的な問題をほとんどを持っているのだ」と思っていました。
そして、はてはあの世で調子こいたな?と思っていました。生まれる前に、「平気平気、これくらいどうってことねえよ」みたいな強気を見せてカッコつけて人生の設定を決めたんじゃなかろうか、などと。典型的なだらしなさを持っているということくらい、そんなに大したことではないのに。お恥ずかしい。馬鹿な俺です。

それで、こうしたことを解決したくてしたくて、精神世界のことを勉強し始めたのでした。世間ではよく、それを甘えだとか、ちょっと宗教的なものに偏っちゃったイタイやつだとかいう見方をする傾向もありますよね。

それで、まあそれも一理あるよね、そうなっちゃったりもするよね。自分ってそうなりがちなやつだよね…と思いつつも気にせず突き進み、そこで結局見つけたことは、自分に必要だったのはふつうに現実を見て、ふつうにしっかりするとこしっかりして、ふつうに必要なことはいくらなんでもやって、普通に自分にはまずは自分しかいないってこと、自分の楽しみは自分しか知らないってこと、周りの人の言うことはある程度ふつうに耳を貸したほうがいいってこと、食って寝て生きるしかないってこと、そのうち死ぬってこと、それらをまずは引き受けなきゃ話になんない、ということでした。

わたしは、そういうことがマトモにできなかったのです。
社会が悪いんだ親が悪いんだ運命が悪いんだなどと思ったり、とにかく自分の首を絞める系の甘えがいっぱいあったりしてね…それらを”自分でなんとかするしかない”とひとつひとつ覚悟しなくちゃいけなかったのだけれど、心の勉強したことは、それをものっっすごく助けてくれました。

わたしは精神や宇宙の法則を学んで、「お前の世界はお前の鏡だぞ?」と突きつけられて苦しかったです。みなさんはどうですか。だから、よく言われるようにその世界に甘えて現実を見ずにごまかしていることなんて、逆にまったくできなくなり、逆にしっかり追い詰められました。自分のそれは人一倍辛かった気がしていたものですが、勘違いでした。人それぞれ、追い詰められるときはその人なりに最高潮に苦しいものですね。。

精神世界のことを学んでいる人が、「ただ楽をして楽になろう」と思っていると迷子になったままになりやすいのかもしれません。どこかで不要な信念を持っていて、長年をかけてその上に現実を構築していると、それを解除するときにはそれ相当に怖くて努力が必要だったり、するものですよね。

かなり精神世界を学んでいるはずの人でも、自分に起こったドラマに巻き込まれて、それが自分の反映だとは思えなくなったりするものです。

わたしは、大抵の人よりもだらしなかった。
いい加減だったし、自分のことばかり考えていたのです。
すぐに被害者になったりしてズルかったし、盗人精神で生きていたのです。

どうにか、そこからひっくり返ったときに起こったこと、それに至るまでの軌跡をお伝えしたいと思うのですが、なによりあのひっくり返る前に持っていた苦しみについて、喉元過ぎてしまって忘れそうになることを避けたいと思うんです。しかし、どんどん薄れて忘れそうです。

今でも覚えているのは、人間社会が厳しく思えてとても生き抜けないと思っていたこと。男性を信用するのがものすごく難しかったこと。不平不満を感じるのは仕方がないと思っていたこと。

まさか、自分でそれらへの”感じ方”を変えられるだなんて、思いませんでした。「わ、自分のせいじゃん。マジか!!」と思うことがいっぱいだなんて、思いませんでした。それを自分が引き受けるのに、誰のせいにもできないってことを「こんなに大変なら死にたい!!」と思うだなんて。

そんな中で苦しみながらも精神世界のことは趣味になっていったのですが、その後まったく意外なことに、うんうんうなるほど考えて考えてばかりいたわたしに幾度かの段階に分けてワンネス意識の体験があったりして(今月、覚醒塾でお話しします)、ある日、自分にはしっかりピッタリ自分さんが一緒にいてくれて、自分さんにはしっかりピッタリ自分が一緒にいることを(同じだけれど、反対になっていますよね!良ければ言葉通りの体感を、みなさんもつくってみて!!)、この世で最高の歓喜だと気がついたのです。歓喜すぎて、なんずァこりゃあ~!!と思いました。あの日の喜びを知ることができて、そこからやっとちょっとずつ自分を背負えるようになった自分が人生の好転を経験してみて、やっぱり個人的には精神世界のことを一徹に追ってきてよかったと思っています。

途中、「何年経っても自分にはなにも起こらないんだが」「とくになにも見えないし、なにも変わらないんだが」「気づきがやってこないんだが」などと思って辛かったのですが、そして辛いのに意地になってスピリチュアルなことばかり追って思い煩っている自分が「そもそもそんなんだからダメなんだぜ絶対」などと思えて超絶心細かったのですが、自分が粘着質でウザしつこくてよかったと、心の底よりも底から思っています。

だからわたしは、わたし自身も含め今ちょうど学びの途中にある精神世界のことがどうしても好きな人へ、エールを贈りたいとしょっちゅう思います。
やっぱり、良くなりたいし、やっぱり、オモロイですよね。

わたしたちが心のことを追ってジレンマを感じているあいだ、わたしたちは人生の大切な時間を費やしているんですよね。ジレンマがあるけれどそれでもこの分野のことが好きな人は、「それを追うことに人生の時間を使っている」と自覚してみてください。

今の自分を今のまんま、現実のまんま、自覚してみてください。自分の状態を自分に説明してみてください。「精神世界のことを追っているけれどなかなかうまくいっていない人」でも、「なにかでうまいことパッと人生を好転させようとしているけど、自分でやる覚悟がない人」でもいいのですが、その自覚どおりの自分を、今すぐに背負って歩きましょう!

なにを追うも、その人のために。
なにを探すも、その人の人生の時間を消費して。
一緒に納得して、一緒に進む。

わたしたちが背負ってあげられるのは、わたしたち自身だけだから。
わたしたちを背負ってくれているのは、わたしたち自身だけだから。

その迷いに、二度と戻らない人生の時間を惜しみなく消費させてくれるのも、それで納得して一緒に老いてくれるのも、自分だけ。わたしたちには、そんな自分がいます。

そう思ってちょっと自分のために切なくなったのなら、それだけでも精神世界のことを学んでよかったのではないかな、とわたしは思います。
いかにもこの青い星に生きる、わたしたち人間らしい感覚ですよね。

わたしは個人的には、宇宙の法則を知ったことが、巡り巡って人生を愛しく思う感覚につながりました。けれども、知ったことで返って辛くなっている最中の人もいると思うのです。そのとき、「もういいや!別のことに人生を費やそう!!」と離れるもよし、「でも追いたいぜ!!」と思うもよし、自分で選んで自分でそれを背負うのならば、どちらも正解です。どちらもスピリチュアルなのですよね。それで、いいじゃないか!!そこで、自由であればいいじゃないか!!あなたのスピリットは、きっと喜んでいますよ。

というわけで今日は、精神世界のことを追うのは素晴らしいと思いますよ。でも、それに人生の時間を使っていると自覚していきましょう!そして、自覚を持って選ぶのであれば、追わぬもまた素晴らしきですね!という自分の考えかたのシェアでございました。なにか、どなたかにとって使えそうな発想が含まれていますように!!

それではまた、明日ね。

【『魁!!覚醒塾』面白い2日間の寺子屋を開催しますよ☆】

今回はあの大島ケンスケさんとの珍しい寺子屋ワークショップを開く運びとなりました。2週に渡って、日曜日に開く寺子屋…!

魁!!【覚醒塾】オンライン寺子屋2日修行。

覚醒に焦点を当てた2日間の塾です。
意識変容、ワンネス意識の「体験」がテーマです!!

一日目は、トーク・座学を中心としたもので、
二日目にはワークを一緒に行っていきます。

◯一日目
9月6日(日)20時開始 22時半終了予定

zoomを使用したクローズドな場ならではの
意識変容、ワンネス意識の「体験」について、
生のトークでのシェアを行います。
こうした体験についてはさまざまな誤解や
思い込みが多いものです。
それらにまつわる思い込みを解除します。

◯二日目
9月13日(日)20時開始 22時半終了予定

実践、ワークショップ。
ケンスケさんによる感覚の解放のワークや、誘導瞑想、
(※身体感覚を使いますよ)
壇珠による覚醒に至るための思考や意識の使い方に関する
ワンネスワークを実践していただきます。

自身の内面を探求したい方、
本質的な自己と出会いたい方、
それによる安心をもって人生を歩みたい方との、
素晴らしき出会いを楽しみにしています。

この二日間も、人生の大切な時間です。
そして、大丈夫。扱うのは自分自身だけなのです。
誰かを扱ったり、誰かに扱われる場ではないのですね。

遊び心を持って集まり、皆で素晴らしい場にしましょう。

ブログでもご案内しています(お申し込みのリンクもあります)。
クローズドな場です。人数も限定していますが。少人数となると思います。
当日を楽しみにしています!

【オフィシャルサイトです】

オンライン個人セッションや、オンラインサロンのご案内ほか、さまざまな情報がチェックできます!ぜひ見に来てね。



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