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875/1096【地球生活】面倒くささを愛して生きる

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、己の夢を叶えようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で875日。

※この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。

875日目。数日前になんとなく気が向いて髪をピンクに染めた。以前ブロンドにした部分や日焼けして色の落ちていた髪がピンク色になって楽しい。最近になって突然髪をバッサリ切って前髪まで作った。

このところ、自分で自分についていくのが大変なくらい変化が激しく、前の日まで意味を見出していたことが次の日には要らなくなっていたりする。これまで大切だったことがどうでもよくなって、これまで考えていたスケールで物を考えられなくなってきている。重要度が変化して、優先順位が入れ替わっているせいだ。通常この優先順位というのは、その人のアイデンティティーを保つのに辻褄が合うようにできている。(この本人の中でつじつまが合った状態がひとつのゲシュタルトだということですね)だから、それらが変化するというとき、わたしたちはアイデンティティごと変化するときなのだ。

わたしたちは常に自分のアイデンティティーを保とうとするのだけれど、それを根底から疑ってしまうくらい激しい変化にあるときは、自分を手に負えないとすら感じることがある。今それに近いような状態だ。変化に向かっているとき、わたしたちは恐怖を感じるものだ。でも、そうと知っているから大丈夫。怖がっていればいいのさ…!あわあわ…!!

それほど変化している最中で、それでも今日も毎日投稿を続けようと思うことが自分でも興味深い。

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みなさんには、面倒だと思うことってありますか。わたしにはたくさんあります。学校や役所に書類を出すことが面倒です。事務処理が面倒なことがあるし、ときには人付き合いにも面倒な側面があります。でも、どれも必要だからこなしています。

(※人間が嫌い、という感覚ではありません。ちなみに「わたしは人間が嫌いで、すべての人が面倒です。それは自分が宇宙人体質だから」などという人がいますが、そうではなくて単に低い自己評価が原因となっていると思われる場合がほとんどです)

ご質問やメッセージの中には、この面倒だと感じることを自責しているお方をよくお見かけするのですが、なにひとつ面倒でない人がいたら、かなりの超人ではないでしょうか。人生に面倒なことがたくさんあると認識していることは、わたしは健全なことだと思っています。

なにかを面倒だと思うしくみはシンプルです。

たとえばわたしが、今わたしがジェイミー・ドーナン氏とデートに行くことができるとしたら、どんなに遠いところまででも駆けつけます。ずっとヒゲダンスの動きで移動します。ちっとも面倒じゃありません。わたしは移動が嫌いなので移動自体が面白いわけではないのですが、その道中も薔薇と光しか見えない気がします。

けれども、たとえばよく知らない知人の知人の結婚式に人数合わせのために行かなくてはならないとなったら、ひどく面倒だと感じます。

この差は自分にとっての重要度の差です。自分のためになるかならないかの差ですね。面倒なことって、つまりは自分にとって重要ではないと認識していることなのです。

なにかが面倒なとき、それが自分にとって重要ではない。つまり、自分のためになるというイメージが薄いときです。これには、自己評価が低いバージョンと高いバージョンとがあります。

好きな人がいるとします。すると、その人が喜んでくれることを探しますよね。それで、それをイメージして動きます。そのためだったら、電車に乗って指輪を買いに行くことも、素敵なお弁当箱を買いに行くことも、手作りチョコレートを作ることも、なんのその。面倒だとは感じません。

けれども、もうその人の喜ぶ姿を想像しなくなっている相手というのは、どんな相手でしょうか。その相手の喜ぶ姿に対して、自分の喜びが起こらなくなっているのです。自分がそこに価値を見いだせなくなっていますよね。自分にとっての重要度が、落ちてしまっているのです。

これと同じように、自分のため(喜びを与える、面白みを与える、役に立つなど)になることに思いが向けられないときというのは、自分で自分に価値を見いだせていないときです。自己評価が低いと、その分物事が面倒になってしまうのです。自分のためになにかをしてあげるのが、面倒くさいのです。

自己評価の低い人は、自分のためになることすら面倒だと感じるのですね。タバコをやめるとか、勉強をするとか、清潔にするということが面倒だというとき、大切な自分のためになることだという認識がないのです。自己評価が低いので、「こんな自分のためにそこまで頑張る気にならない」と感じているのです。

これに対し、逆に自己評価が高い人はなにに対して面倒だと感じるのかと言うと、「自分たのめにならないこと」です。自己評価の高い人は、自分のためにならないことを無駄だと感じ、それを行うのは面倒だと感じます。

自己評価の低い人→自分のためになることすら面倒
自己評価の高い人→自分のためにならないことが面倒

ということです。ちょうど正反対ですね。しかし、この世に生きていれば面倒なことはどちらにしてもあるのです。そしてわたしたちは大抵、自分に対しての良い評価と悪い評価をどちらも持っているものです。なので、ちょっと面倒だと感じることがあれこれとあるのはおかしなことではありません。

今日わたしがお伝えしたかったのは、なにかを面倒だと感じることで、自分を責めなくてよいということ。そう、面倒面倒!面倒いろいろあるもんです!三次元物理世界に生きていたら、面倒なことがあって自然なのです。時空のある世界に好奇心と自由意志を持った知的生命体として存在しているので、あれこれと面倒くさいことがあるのですよ。いいのですそれで。

地球人は基本的に、面倒臭がる生物なんです。わたしたちは退屈な(つまり喜びがなく重要度が低い)ことを面倒だと感じやすいのですが、『似たような情報はすぐにデフォルメして同じものとして認識する脳のショートカット機能』を搭載しているため、似た行動を毎度フレッシュなものとして認識できずに面倒臭さを感じても仕方がないのです。

うわ面倒くさっ!と思ったら、そのたびに「これが自然なんだよな」「俺って超健全な地球人」と思ってあげてください。そこでいちいち自分を落とさない。これが大事です。でないと、それで一生の間に5億回くらい自分を落としてしまいますからね。

そして、その”面倒くさいと思ったということ”をジャッジの対象としてではなくて、好奇心をもつ対象として認識する(ある意味で脳を騙す)ために、『この””面倒くさい””は「自分のためになるのに面倒」なのか、「自分のためにならないから面倒」なのか』ということを判断してみましょう。

つまり面倒くさいと思うたびに嫌な気分でいるのではなくて、「これはどの程度、どのように、わたしのためになることなのか?」を毎度検討して答えを出す、ということです。これは自己評価の高い人の思考回路です。

わたしたちにとって、物事が自分のためになるのかどうかを確認しようとするのは大切なことなのです。コツは、その後ウジウジとそれにとらわれて考えずに、「ためになる」のか「ためにならない」のかだけを検討し、判断していくということ。

面倒くさいと感じたら、まずそう感じたことをOKだと思い出す。それから、ためになるのに面倒くさいのか、ためにならないから面倒くさいのかを考えてみる。そして答えを出したら、あとは深く考えずにその面倒なことをやるかやらないか、行動に出てください。これが徐々に癖になると、面倒くさい感じに変化が起こってくるのでおすすめです。

たとえば、「よく考えてみればやはりとても自分のためになる。むしろもっと一生懸命やろう」と感じられて、いちいち面倒くささを嘆くのは無駄だと思えてしまうとか、「おや?案外無駄になっているな、やめてよいことだったじゃないか…!」と気がつくなどの変化が感じられます。

面倒くささは地球人のもつ一生の課題のうちのひとつです。自分を大切にするために必要なことや、自分にとってなにが重要なのかを知るセンサーでもあります。それから、目の前の『今』に集中するためにも役立てられる感覚です。

いずれにせよわたしたちには、面倒くささと一生付き合っていかなくてはなりません。それはまた、人生のヒントに満ちた深い学びでもあります。人間関係も、食べることも生きることも、ガッツリと面倒くささや難しさがあるからこそ、やり甲斐があることです。だからこそ素晴らしいことなのですね。手間がかかることだからこそ感謝が生まれたり、面倒を負ってくれたことで絆が生まれたり、長い距離を移動してくれたからこそ感動したり、日々の地道な積み重ねがあってこその輝きを手に入れられたり。面倒さというのはこの世を生きる醍醐味と密接につながったテーマです。

面倒だと感じることを消そうとしなくていい。面倒さとうまくダンスをして生きましょう。きっと、その中から立ち上る達成感や喜びや美しい喜怒哀楽に出会えますよ。

というわけで今日は、面倒くささについてのわたしの好きな観点とワークのシェアでございました。使って遊んでみてね。

それではまた、明日ね!


毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)