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【質問回答】恋愛で一喜一憂してしまうときは、どうすればいい?

こんにちは!今日もヴェネツィアは曇りに曇っております。好きなだけ曇り散らかしたいようなので、わたくしめも仕事をし散らかしてやろうと思い、朝から8時間も家事をしまくって、休憩もせずにパソコンに向かっております。

本日は、昨日再度新しく開設した質問箱のほうに、早速いくつもご質問をいただいておりますゆえ、どんどん回答していきたいと思います!

最初に届いたご質問は、質問箱を開設してちょっとのあいだ、運営からのご質問を受け取らないようにする設定にするのを失念していたので、もしかしたら運営からのものなのかも?しれませんが、どなたかが送ってくださったものかもしれませんので、お答えしたいと思います。

恋愛の初期などに、相手の気持をついつい憶測して一喜一憂してしまう時にどうするか。これを読んで、ツッコミどころがいくつも湧いてきてしまう自分がおり、そんな自分は意地悪な人間なのかもしれないと、そこにちょっと日本人らしい恥の感覚を覚えます…

どんなツッコミどころなのかというと、まずひとつは、”相手の気持ちを憶測したりして一喜一憂することこそが、恋愛なのではないのか”、ということです。それこそが、ザ・恋愛というものではないでしょうか。そんな気持ちにならず、相手が自分のことをどう思っていようとも、自分は相手のことをただ思っているのであります…という感覚なのであれば、それはもう恋愛とは反対の、無償の愛というものだと思うんです。武士の一分といいますか、すげえカッコいいんですが、その領域にあるのであれば、このようなご質問が湧いてこないものだと思うんです。

ならば、壇珠さんにとっての恋愛って、なんなのですか。という疑問を想定して自分で答えてみようと思うのですが、私は恋愛の「恋」と「愛」を別々のものだと思っています。

恋というのは、相手の気持ちを自分に向けさせたい、相手のことを知りたい、相手も自分に恋してほしい、相手の異性関係を独占したい、という身勝手な感覚のことをいうのだと思うんです。
愛というのはその反対で、相手のいかなる望みや特性をも肯定し、相手が自由であることを望み、相手の自立と幸せを願う気持ちのことをいうのだと思います。

だから、「恋愛」というのはそもそも、”「恋」と「愛」という正反対の感覚のあいだを行ったり来たりしながら、苦悩することそのもの”を指すのではないでしょうか。まさしく一喜一憂しながらの、葛藤の体験ですよね。

それは、なんと素晴らしき人間体験でしょうか。それぞれの人の持つ、エゴと神性とのぶつかり合いです。相手の恋心も肉体も独占したい。誰よりも自分が相手のことを知っていたい。でも、相手に自らの足で立って、生きることを楽しんでほしい。その人の喜びの笑顔が見たい。その人の自然なあり様を祝福し、幸せと自由を謳歌する手伝いがしたい…

このように、自分の中の身勝手と、相手を優先する愛とのぶつかり合いが起こっているのなら、それこそが恋愛です。それを思う存分に味わって、それらの感覚のバランスを取ろうと葛藤して、自分を知って、生きている間ならではのその体験を、心に刻めばよいのだと思います。

なんということだ。すみれちゃんが、俺のすみれが、あのスカした野郎とあんなに嬉しそうに笑顔で話していやがるじゃないか…!なぜだ。なぜなんだ?!すみれちゃんはもしかしたら、俺なんかよりもあいつのほうがカッコいいと思ってるんじゃなかろうか。ふざけるんじゃない。あいつは先日の体育のサッカーの試合で、シャツを引っ張ったり足を引っ掛けたりして、反則で何度もボールを奪った汚い野郎なんだぞ…!!

後でそのことをすみれちゃんに話してやりたい。が、すみれちゃんは単にあいつと良い友達なのかもしれない。それを俺が、自分の勝手で仲違いさせるわけにはいかないじゃないか。それは、すみれちゃんの幸せではないのだ。

嗚呼、自分はなんと浅ましき人間なのだろう。なんと弱い人間なのだろう。国の父よ母よ、俺はこんな己が情けのうございます。父と母の息子である俺は、こんなことで恥辱にまみれた痴人になるわけにはいかない。だからここで、知らぬふりを決め込んで、すみれちゃんの笑顔を守るのだ…本当はすみれちゃんの気持ちを問いただしてやりたいのだが、それを叶えてはならぬ。この胸中で、苦悶のうちに彼女の気持ちを憶測する他はないのだ…!と、悩んで、苦しんで、愛する努力とはなんぞやということを、知ればよいのだと思います。

もうひとつのツッコミどころは、その一喜一憂のときに、”どうしたらいいのか”と考える必要はないのではないか、ということです。

私は、私たちの体験することは、本で物語を読むことと似ていると思っています。私たちが例えば恋に落ちて、相手の気持を憶測してハラハラドキドキムカムカフガフガすることは、その物語に書かれているシナリオです。本を書き換えることはできないので、その部分をどんなふうに読むかということが、私たちに与えられている自由なのだと思います。

主人公がそうして恋に苦悩するシーンを、思いっきり感情移入して読むこともできれば、冷静に読むこともできる。遠くから眺めるように、その体験をする人物を慈愛たっぷりに見ながら読むこともできますね。私たちは、自分の体験をそんなふうに、眺めることができるのです。

私は、そのようないくつもの読み方の違いを、自分が自在に駆使できるかどうかを試したりしながら、そのハラハラした時間を謳歌するのが好みです。
恋に一喜一憂する自分。それはなんと愛しき存在でしょうか。宇宙にぽつんと浮かぶ小さな星の上で、さらに小さな小さな自分が、生きている間、恋をして心をクシャクシャにして、笑ったり泣いたりしているのです。自分が生きていた間の、人間をやってみた時の、いい思い出。そう思ったら、なんだか自分の味方をしてあげたくなりますね。

なんにしろ、自分がどんな読み方をしても、そこに「自分が自らそんなふうに読んでいるのだ」と納得しながら読めたら、一番気分がいいですよね。

だから、恋愛初期などに相手の気持を憶測して一喜一憂する時にどうするかというご質問には、私ならばその体験を面白がりながら味わいます、と回答いたします。参考になりますように。

それでは、またね!

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