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753/1096 ベストなことがベストタイミングで起こっているのなら

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で753日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

753日目。今日もまた次の日の予定を考えて夜の執筆。先月からほとんどの週末に仕事のスケジュールが入っているが、来月からはそこを変えてみよう。週末は家族と遊ぶぞ!!!

そういえばはじめのうちは、毎日ブログを書くことで削られる時間の分量に閉口した。朝から晩まで掛かる勢いだった。そうして倒れ込むように寝て、ハッと起きればまたその日のぶんを書かなくてはならない。これが毎日連続するということに、耐え難いものがあった。

当時は1記事書きあげるのにものすごく時間がかかってしまっていたため、それまでの生活ができなくなり、他の活動がままならなくなった。それが半年経っても、一年経っても変わらなかった。今は、時間が短くなったからというよりも、これに長時間を充てることに対しての抵抗が薄まって慣れてしまったと言える。

今の自分は、ゴールまでのあと約11ヶ月でどんな風に変わるだろう。ゴールまで行けば、それを知っている自分に出会える。その未来の自分に会うための切符を用意するのに三年かかるのだ。

しかしその三年はもちろんその目的のためだけにあるのではなくて、その三年のためにあるのだと思う。

人生の時間を消費しているという条件のもとでそこにのみ着目すれば、プロセス自体がゴールと同じだけ重要だと思う。プロセスもゴールも、人生の貴重な時間をあてて紡いだ体験だものね。

わたしたちは死というゴールのためだけに生きているのではない。ただこの生きている間のプロセスそのもののために生きているのだと思う。

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ものっっっっすごく今更なのだけれども、自分はイタリアに住んでいるのだな…!!いやいや本当に信じがたく、驚きが隠せない。もちろん、住んでいるという実感はとっくにあるのだけれど、でもこうして改めて改めて改めて、再再再再再…度、驚くときがある。

いやイタリアて!!いやヴェネツィアて!!いやないないないないないない!!いったいぜんたい、なにがどうなってそうなったんだよ本当に!!と、自分のことなのにそう思ってしまう。

それは、過去の自分の感覚にアクセスしたときに起こる。イタリアに行くだなんて夢にも思っていなかった頃の自分に、今の自分が「ねえー!!おおーい!!なあお前!!お前まさかのまさかだけれど、近い将来イタリアに住むことになるぞ!!」と伝えることを思うと、伝えられた側の感覚になって、「な、な、なにいいいいいい?!??!!!??嘘だ…そんなことあり得ねえよ!」と思ってしまうのだ。

どの時代どの時の自分でやってみても、まずそのアイデアを受け入れられなかったように思う。「ムリムリ!!どうやるのよ!!」と訊いてくるだろうと思う。そして「イタリア人と結婚するんだよ…」と言っても、まずもって簡単には信じられないだろうと思うし、親やその時代の彼氏や前夫のことを思い、「嫌だ!!!行かねー!!」と言っただろうと思う。だから、イタリアに来るのを受け入れられたのは、本当にそれが起こるときだけだったと思う。その前じゃ、とても無理だった。

こうしたことをつくづくリアルに感じるとき、どんなこともベストタイミングで起こっているのだとわかる。どの出来事も、ちょっと前でも、ちょっと後でも、実はダメだったのだ。

逆に言えば、すべてのタイミングでベストなことしか起こっていないのだと言い換えられる。みなさんはこの『すべてのタイミングでベストなことしか起こっていない』という驚異的なことを思ったとき、どんな感覚になるだろう。このことをどんな風に受け止め、どんな風に解釈し、どんな風に現実生活に活かすだろうか。

わたしはまず、「じゃあもう、なにひとつ文句のつけようがないってことになるよな?」と思う。ベストならしゃーないやん。これがベストなら。と思う。それから急に自分に都合よく考え始めて、「おや?ほんじゃ、わたしがなにを選んでも、それもぜぇ~んぶ、それでベストってことになっちゃうよな?な?そうよな?(期待に胸膨らむ)」となる。

そうすると、「うっほほ、じゃあなにをしてもいいんだ、やったぜ!!」と思う。なにをしてもよくて、ちゃんといつもベスト。これはいいや!!と、ちょっと透明人間になる薬を手に入れたような、浮かれた気分だ。そこで、こんな思いが湧いてくるのである。


ハァ…なんでも自由か…どうでもいいんか…それでベスト、かあ…

それじゃあ考えてみればわたしには、後悔するべきことがないんだな。

それから、自分のなにをダメだと思えばいいのだろう。

相手のどこを、誰のどこを、世界のなにを責めればよいというのだろう。

それに、なにを心配したら良いというのだろう。

ぜんぶベストと言われたら、そういうの、なくなっちゃうじゃんな…

期待も不安も後悔も、なくなっちゃうんだな…

そんな間違いの入り込む隙間が、宇宙にはどこにもないんだな…

だったら自分はただ、力を抜いてもいいんだね。

力を抜いて、浮かんでいてもいいんだね。

そんなふうに楽な気分で生きても、ほんとうはよかったんだね。

それで怒られても、それでベストなんだもんね。

じゃあなんか、なにがどうでも、どうがなにでも、なんかいいじゃん。。。

こんな風に楽観視したら危ない気もするし、

こんなにまで力を抜いたら自分がダメになる気がするし、

なにもかも預けちゃうみたいで怖い気もするんだけど、

もしかしたらこんなふうになにもかも預けちゃうことを、

宇宙に委ねるって言うのかな…

それでいいのなら、やってみちゃえばいいね。。。


実際わたしは、自分がとても大きな気づきの後の意識の拡大があったときに、似たようなことを思ったのを覚えている。そしてやはり、透明人間になれる薬を手に入れたくらいの自由な感覚が嬉しすぎて泣きながらコサックダンスをしたのだった。

これまでのひとつひとつの出来事が、そのタイミングでしか起こり得なかったということ。そこに純粋に思いを馳せてみると、そこから霧が晴れるように見えてくるものがある。

ベストのことが、ベストタイミングで起こっている。

このことからあなたはなにを感じるだろう。
もしこの宇宙がそんなところなのなら、あなたはどうするだろう。
この先の人生をどう見て、どう生きるだろう。
この世界を、どんなふうに見るだろう。

あなたは人生になんの心配もせずに、自分と手をつないで、心の赴くまま楽しい方に進んでいってもいいのではないかな。

そんなことを考えてみるのに、夜長の秋が”ベスト”なのかもしれませんね。というわけで今日は、過去の自分とのやりとりを通じて気がつく、ベストなことだけがベストタイミングで起こっているのだという真理についての、気楽な考察の仕方についてのシェアでございました。誰かの面白い気づきに、つながっていますように。その人と響き合えますように。

それではまた、明日ね!

毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)