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876/1096 真の幸福は片道切符

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、己の夢を叶えようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で876日。

※この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。

876日目。こうして今日まで淡々と続いている毎日投稿の様子は、ちょうど地面から少しだけ宙に浮いて毎日ゆっくりと進む飛行船のようだ。大した高さでないところを、のんびり穏やかに一定のスピードで進んでいる。

しかし、これをいざ止めようと思ったら、巨大な戦車が必要だ。地面も周囲の環境すらもギチャギチャに破壊してようやく止められるものという気がする。この推進力は楽に捻出されてはいるが、鉛の固まりを空に浮かべて進めるだけの力であり、それほど自分にとってはパッとやめてしまえるようなものではないと感じる。

日進月歩でのんびりと進むものの習慣の力のいかに強いことかを、自分を通して感じられたのが嬉しい。

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古今東西、人はいつだって幸せを求めて生きています。幸福とは何でしょうか。みなさんはどう思われますか。

わたしは、本当の幸福は””片道切符””なのだと思います。
一時的に幸せな気分になったけれど、また不幸に戻った。というときは、その一時的な幸せというのは本当の幸福ではないということです。

禅問答のような言い回しになってしまいますが、『真の幸福というのは、幸福かどうかに影響されないもの』ということですね。一時的なのものではなくて、揺るがないものです。

表面的な自分が喜んでいるときにも、悲しんでいるときにも、怒っていたり悔しいと地団駄踏んでいるときにも、変わらないもの。そんな喜怒哀楽を味わう自分を、微笑ましく眺める。真の幸福のヒントは、その観点にあるのだと思います。

それはちょうど誰かに対して、喜んでいるときにも悲しんでいるときにも、元気なときにも病むときにも変わらぬ愛を持っているのと同じことなのですね。自分の大切な人が悲しんでいたとしたら、それを見て「うわ、悲しんでる!もう嫌になったわ~」とは思いませんよね。もしも相手が自分の気に入るような状態や、自分にとって都合の良い状態にあるときにだけ好きなのだとしたら、それはその人を愛しているとは言えません。ほんとうに愛していたら、その人のコンディションが変わっても愛は変わらないものです。

それとまったく同じように、自分の幸せというのは自分の状態に関わらずに根底にあるものなのです。生きているだけで幸福なのであれば、自分が「きゃー幸せ」と言っていても、「ああ悲しい」と言っていても、それらに左右されることなく幸福です。だから、その無条件の幸せに気がついたら、もう元の状態には戻らない。本当の幸せは、片道切符なのです。彼岸に行ったら、元の幻想からはバイバイです。

だから、幸福というのを『不幸ではないこと』と考えたり、『幸福なことばかりが起こること』と考えても仕方がないと思うのです。そういったこととは根本的に関係がありません。

そもそも、”満たされれば幸福”なのではないのですから。ここをひっくり返すこと、これが唯一最重要なことだと思います。

生きているといろいろ起こるのですが、それでいいのです。本当に…!!それでいいんです。それによって幸せを邪魔されたと考えなくていいんですよね。嘘だもの、そんなものは。

たとえものすごく不幸に思えることが起こって、それに心がついていかないのだとしても、それでいいのです。どこか満たされなくて、どこか寂しくて切なくて、たまに大変なことが起こって、それでいいのです。あなたに起こったことのすべてが、それでいい。それでいいのです。もしも「それでいいというのが絶対」なのだとしたら、そこを一旦固定してみたとしたら、あなたはどう考えますか。

宇宙が完璧なのだと仮定してみたら、あなたはそこになにを思いますか。心の反発を一旦横において、これにどれだけ思いを馳せてみたことがありますか。

そのあなたにとっての最悪がもし完璧なのだとしたら、それでよかったのだから、もう恨みとも自責の念ともバイバイです。あなたは神の愛する素敵な人。

夫が浮気をして不幸です、親が毒親で不幸です…不幸の理由というのは、見つけるのがいちばん簡単で、まったく頭を使わずにできることですよね。わたしもこれまでに、一文無しになったり騙されたり、誠心誠意頑張っても全部なくすしで、そのお気持ちがよくわかります。

でも、それでよかったんです。そう考えてみるとどうですか。相手を責めたくてたまらなくて、自分の甘えが噴火しませんか。奪われたものを返してほしいし、相手が間違っているし。殺意まで湧いてきませんか。

でもそうとばかり考えてしまうと、そんなことを起こしてしまった宇宙が間違っているということになります。この宇宙がそんなにおかしなところなのだということを前提にしてしまったら、どうやってこの世界に安心したらいいのでしょう。伝わるでしょうか、、ここをひっくり返すんです。

夫が浮気をして、親が毒親で、とても辛い…でも、あなたにその必要があった。それらはあなたに必要なゲームであり、あなたの魂の超えてみたいこと。そこから自分と世界を愛してみたかったから、あなたにそれが起こっただけなのです。宇宙はいつでもあなたの味方。これだけでかい宇宙があなたの味方なんですよ。だから、宇宙は完璧にそれを創ってくれたのです。その問題を見切りをつけて捨てるのもいいし、感謝してもいいし、捨ててもいいし、誰かに頼って乗り越えてもいいんです。どこかで、あなたにとって”問題”ではないと思えればいいんですね。つまり、それらの事象があなたの幸せを邪魔する存在ではないと悟ればいいのです。

真の幸福は、幸か不幸かに左右されないほど無条件なものです。見つけたらもう、片道旅行です。彼岸はいいとこ、いちどはおいで!笑

書いていたら長くなってしまいました。涙ちょちょ切れつつ熱くなって書いていたら時間が来てしまいました。祈りを込めて更新します。

というわけで、今日は幸福ってなんだろうね、ということについて思いつきを書きなぐってしまいましたが、どなたかの元気につながってくれますように。

それではまた、明日ね。




毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)