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996/1096 誰も信じない話⑤

吾輩は怠け者である。しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、己の夢を叶えようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で996日。
※本題の前に、まずは怠け者が『毎日投稿』に挑戦するにあたっての日々の心境をレポートしています。その下の点線以下が本日の話題です

996日目。つ、ついにきた…!!ゴールまで、とうとう残り100日である。嬉しいけれども、いや本当にくるんだな…と淡々と思ってしまった。喜ばしいことだ、明日からは1096日のうち、残りがたったの二桁になるんだぞ!と思うのだけれど、あと3ヶ月はあるので静かに精進して参ろう。

わたしたちが自由だと感じるのは、「自分で選んだ」と認識しているときだけだ。「自分で選べなかった」「選ばされた」「自分でないものが決めた」という認識のときには、不自由を感じる。

だから「自分で選んだ」という感覚をもつことにより、わたしたちは逆説的に自由になれる。言い換えれば、それ以外に自由を謳歌する方法はない。

自分で選んだという実感なしに、たとえばもっとお金を増やしたり、もっと時間を増やしたりして選択肢を増やすことで、たしかに自由になるという部分もある。けれども、それには限界がある。われらには一日は24時間で、肉体があって、飛べなくて、千手観音みたいにたくさんの腕もなくて、とにかく制限があるからだ。だから、外側の選択肢を増やすことに頼っていてもすぐに壁にぶち当たる。

ならば、「自分で選んだ」という認識を増やすことで、内面から無限の自由を獲得する。自分で選ぶことの重要性はここにある。これは大変奥深いことだ。

たとえば、自分で決めたつもりでもそこに不満があるのなら、そこには「それ以外の選択肢がなかったせいだ」「決めざるを得なかった」「自分の決定ではない」「他にどうしようもない」という被害者の心がある。本当に自分で選んだと思えているかどうかは、自由を感じているかどうかでわかる。

この三年間の投稿を決めたのはわたしだ。自分で決めた。だから、この毎日のタスクによる大変な縛りが逆に、自分には自由しかないということを感じさせてくれる。だってそれは当たり前のことで、こうして勝手に決めて勝手に書いているのだから。ぜんぶ自分のせいなのだから。

今日も勝手に決めたタスクをこなそう。
この自分で課した制限を自分の自由の証拠として見てやろう。

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※この物語の人物名は架空のものであり、物語の詳細もフィクションです
筆者の記憶をもとに、そこからインスピレーションを得て書いています

(今日は体調が悪く、残念なことに描写したい場面のほんの一部しか書けませんでした。明日から二日間はコース運営のため、場合によっては連載がスキップしてしまうかも知れません。なにとぞご容赦ください)

穂苅さんの話は佳境だったけれど、彼は家にわたしの食べられそうなものがないからと言って、買い出しに行ってくれた。彼にとってこの話は、病人の退屈しのぎに語ってくれているだけのものであって、親が子どもを寝かしつけるために絵本を読んであげているのと同じような感覚なのだろう。わたしだけが興奮して、気が急いているのだ。

穂苅さんがいなくなったら、鉛のように重い身体だけが残って、他人の家にいることがひどく心細かった。手脚のだるさがひどくて、家に戻れるのかが不安になった。立っていられるようになったら、戻らなくては。ご迷惑になりすぎる。

それにしても、自分のいる世界が、ただ自分の思いが現れているだけなのだと気がついたら、自分だったらどんな気持ちになるだろう。なにが出てくるのだろう。まず思うのは、そうなったらもうなにもかも、人のせいにできなくなってしまうということだ。ぜんぶ自分の思いなのだとしたら、なにが出てきても、自分のせいだ。

でも穂苅さんはさきほど、彼の見た閻魔様の様子は、子どものころに見た絵本から得たイメージだった、と言っていた。その絵本がもしも親から読めと言われて読んだものだったら、親のせいで閻魔様を見た、親の与えた本のせいで自分の閻魔様のイメージが固まった、自分のせいではない、と思ってしまうような気がする。

けれども、少なくとも、へえ~この世界が自分の思いでできているのなら、自分の中ってこんなふうになっているんだな~と思うことだろう。自分のいろんな思い出、自分の経験、自分がそこから信じ込んだこと、自分の解釈を、ずっと見ているってことになってしまう。現れてくるものを変えたいと思ったときは、自分の思いを変えればいいのだろうか。しかし、思いというのはそうそう器用に変えられない気もする。変えられそうにないと思ったら、その思いのせいで変えられないという経験をするのだろうか。わからない。そんなことになったら、気が狂ってしまいそうだ。

思いがそのまま現れるのなら、穂苅さんが、自分が死んでいると思えば死んでいて、生きていると思えば生きている、ということなのだろうか。謎すぎる。だとしたら、死んでいるってなんだろう。生きているってなんだろう。わたしは穂苅さんの思いの世界の登場人物なのだろうか。穂苅さんが、わたしの思いの世界の登場人物なのだろうか。

つらつらと考えてみたが、何より気になるのはやはり、穂苅さんが死んだことがあるのだとしたら、今彼が生きているのがどういうことなのか、ということだ。

頭がグワングワンしてきて、まったく考えがまとまらない。わたしはまた横になった。穂苅さんがいたから、その高揚感で起き上がっていられたのだとよくわかる。寒い。熱が上がってくるようだ。

歯がガチガチ合わさるほどの悪寒が始まって、身体中の関節や筋肉に、じっとしていられないほどの痛みが伴った。人様の家で呻くのも申し訳ない気がして、わたしは声を出すのをこらえた。生死についていろいろ考えてはいたが、わたしはこんなにも生きている。病気のおかげで、かえってありありと、自分が生きているのを感じた。頭には、それでスイッチが入ったように、現実的な考えが戻ってきた。これはインフルエンザかなにかだろうか。穂苅さんにうつしてしまってはまずい。それにこんな状態のときに帰ってきたら心配をかけてしまうし、どうしたらいいのだろう。

心細さの中、ようやく悪寒が収まってきたところで、ガチャンとオートロックの開く音がした。部屋の空気がぐわっと動いてビニール袋のガサガサという音がした。そのとたんに、わたしはなぜかものすごくはっきりと、生きている人間が部屋に入ってくるのを感じた。生きたものの気配って、こんなにも強かったっけ!そう、わたしも穂苅さんも、こんなにも生きているんだ。

「誘拐犯が帰ってきましたよ」

片手に重そうなビニール袋をふたつ持って部屋に入ってきて、彼はそれをダンベルのようにして肘の高さまで持ち上げながら、顎を上げてそう言った。
わたしは笑った。

彼はキッチンに袋を置いてこちらにきて、「どうですか調子は。人質のお嬢さん」と続けた。穂苅さんは無自覚なのだろうけれども、わたしは照れくさくて目を合わせられなかった。

「まだたまに寒気がしているんですが、でも立てるようになったら本当にすぐに、家に戻りますね。すみません」
「人質を簡単に帰すわけにはいかないな。誘拐犯がいいと言うまでここにいるんだよ。わかるかい」

彼は冗談を続けたけれど、わたしはどぎまぎしてしまって、うまくそれに乗れなかった。乗れなかったせいで、「ほんとにすいません」と言ってしまった。
すると彼は「おとなしく誘拐されていてくださいな」と鼻歌でも歌うように軽やかに言った。穂苅さんは、こちらの遠慮を重々承知でそう言ってくれているのだ。だめだだめだ。穂苅さんはずるい。余裕をぶっこいて穂苅ワールドを展開していてずるい。彼が片手間でパタパタと振ってくれているのが猫じゃらしだとわかっているのに、それにどうしてもじゃれてしまう自分が悔しい。

穂苅さんは、温めたお粥を出してくれた。穂苅さんはお寿司の詰め合わせ。わたしのほうが質素なのは人質の食べ物だからだそうだ。わたしは穂苅さんの作戦に乗せられて、自分がとても気楽になっているのを感じた。あとで丁寧にお礼をしなくては…

わたしはお粥をちょびちょびといただきながら、いきなり核心に迫ってみることにした。

「あの…ずっと気になっているんですが、穂苅さんはその…一度死んだのに、どうして今生きているんですか」

「う~ん。それがそう、死んでいないから、なんだな」

ボールの飛んでくる方向の空に、集中して構えていたつもりだった。しかしボールは地面から飛んできた。え?はい??どういうこと??今までの話は、嘘だったってこと?からかっていたってこと?わたしはまったく考えもしなかった方向からの返答に思いっきり転ばされて、頭がついていかずに真っ白になった。

死んでないんかーい!!と突っ込みそうになったけれど、穂苅さんの様子からすると、そういうわけでもなさそうだ。
わたしがキョトンとして見つめていると、彼は、「ね。だから誰も信じない話だって言ったでしょう。臨死体験でもないしさ。死んだのは本当だよ」と言った。今度は死んだのは本当だと言っている。うん。これはどうやら、本気になって聴くようなことではないのかも知れない。なんーーーーーにもわからなくなった。それどころか、穂苅さんが薄っすら怖いとすら思えてきている。この人は大丈夫なのだろうか。わたしはここにいて大丈夫なのだろうか。

「死んだんですよね?」
「はい。」
「でも今生きているんですよね?」
「もちろん生きておりますよ」
穂苅さんは両腕を広げた。
「生きているのは、死んでいないからなんですよね?」
「ゾンビじゃないからね」
「・・・・・・」

わたしの目に、かすかに表れてしまったのかも知れない。穂苅さんは、マトモじゃないのではないかという恐れが。あるいは、ただ単にわたしをからかっているだけなのではないかという疑いが。そうだったとしたら、今になってみれば本当に申し訳ない。けれどもこのときのわたしには、わからなかった。ここに辻褄の合う説明があるとは思えなかったのだ。

「面白いなぞなぞでしょう。これまで話したことが重要だよ。死んだあとには、思ったものがそのまますぐに現れるところにいたよね。俺の体も燃やされた。俺は死んだあとの世界にいた。で、今ここにいるのはなぜか。俺がここで今生きているということが、なにが揃うと可能なのか、と考えてみたまえ」

なんだろう、突っ込みどころしかないような、どこに突っ込めばいいのかわからないような。なにが揃うと、可能なのか…どうすれば彼は、今ここで、生きている体験ができるのだろう。なにが揃えばいい??

頭をまっさらにして考えてみよう。

穂苅さんが生きているのに必要なものとはなんだろう。
まず、穂苅さんの身体。
それから、命?
あとはなんだろう。死んでいないという状態、、だろうか。

わたしの頭の中で、死んだあとの経験をしていた穂苅さんの「魂」と、「命」というものとの違いが、わからなくなった。それはなんなの。どうすればそれは生きるの。なにが揃えば、いいのだろうか…

ーつづくー

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