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698/1096 人生の時間は使い捨て

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で698日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

698日目。ぬおおお700日が来たら自分は今の世界からおさらばだ。「毎日書いてほんとうに700日に届くのだろうか…」の世界から、「うわあー実際に届いたでねーの!!」の世界へ行く。もちろん当然ながらわたしたちは一瞬たりとも同じ世界にいられないから当たり前なのだけれど、もっと大きい移動がある気がしてならない。1096日後の移動はどうなるんだろう、ああ、ソワソワ、ざわ、ざわ、、、!!(カイジ)

こうして毎日書いていて、あと約一ヶ月で2年になるのだなあ。
2年やれたらもう自分的には万々歳みたいな感じがあるのだけれど、それと3年はまた別だね。まあ、のんびりいきましょうね!

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このところじわじわと雪のように降り積もっていた(季節感ないな!)思いについて、今日は書いてみよう!と思います。

それは前にも一度別の投稿で触れたことがあるのだけれど、

「人生無駄にしてみない?」というお誘いについて。

セッションや企画でお話を聞いたりご質問をいただいて思うのだけれど、行動できずにいる人は「人生を無駄にしてはならない」という切実な思いがあって、それがなによりも強くなってしまっているように思うのです。

でも、人生って無駄にしないと進まないことがたくさんある。
言い換えると、自分が「こうなってしまったら無駄になる」という偏見を持っている場合、それに気付かされる状況がやってくるものなのですね。

大抵の場合は、無駄というのは失敗や損に関連していて、そうなったら無駄になっちゃうから一歩が踏み出せない…と思ってしまうんですよね。でも、そうやって踏み出せずに不満を感じたままで居ることこそが、無駄だと思うのです。じゃんじゃんバラバラ無駄にしていこうと思わないと、行動そのものが怖くなっちゃいますよね。

「人生を無駄にしていい」と許可してみることの衝撃よ…
ものっすごい気楽さを感じないだろうか!!
わたしはこれで会社をやめました。(昭和)じゃなくて、これで自由になりました。と感じてしまうほどである!!

あれこれ無駄していいのだもの!!

そりゃもう、遊ぶさ。試すさ。だめなら別のやり方するさ。
恋するさ。捨てられるさ。言いたいこと言ってみるさ。
あとなに?!旅行に行くさ。現地でイケメン外人と遊ぶさ。
ゲームするさ。友だちになってみるさ。ダメなら離れるさ。

有益じゃなくていい。得しなくていいのだもの。

そもそも、その「無駄か無駄じゃないか」という判断自体がわたしたちの勝手なものですもんね。無駄しちゃダメだって考えるときって、自分が得するかということと、効率がいいかということにばかり焦点があたっていて、ちっとも自由じゃない。

もうむしろ、その観点でいる人は(言葉に落とすと極端に見えるけれども)、「人生は無駄にするものだ」と考えちゃうほうがいいくらいだと思う。無駄しに来たぜ!!無駄レンジャーだぜ!!神さまから課された唯一のミッションは味わうことだけだぜ!!と思ったら、さあ、あなたはなにをするだろうか?!

人生はあれこれに時間を使ううちに終わる。
この世を去るときに、あれで得したしこれで効率上げたから、無駄をできるだけ抑えたから、いい人生だった…さらばじゃガクッ、と思うだろうか?!なんだかひどく違和感がないだろうか。。。

わたしは今生きていて、今は死に直面しているわけではないけれど、しかし今これまでの人生を振り返ってみたときには、「無駄だったかどうか?!」ということをものさしにはしない。それよりも、楽しかったなとか、辛かったなとか、あれは必死こいたなとか、あれは無謀だったなとか、綺麗だったなあ、悔しかったなあ、臭かったなあ、危なかったなあ、などなどなど、自分が思い切り”味わったこと”が美しく思い起こされる。喜とか怒とか哀とか楽とかが胸に迫ってくる。それを押しのけて、「あの効率は良かったな」などということが他を圧倒して思い出されたりは、まずしないのだ。。

だから、今のこと、これからのことを思うときにも、無駄かどうかなんてどうでもいいのではないだろうか。むしろわれわれは、人生の時間を使い捨てにして”味わう”ということに使えばいいのではないだろうか。二度と戻らない時間を使って使って使って使って、なにを味わうか。そこを優先したとき、損得や効率なんかファックユー的な、中指を立てていいものなのではないのだろうか?!

あなたの楽しみのためなら、時間なんていくらでも無駄にすればいい。
あなたのほしい経験のためなら、人生なんていくらでも無駄にすればいい。
これを言葉尻だけで捉えて、これと理屈で戦おうとするときに途端にくすんでしまうもの、それこそがわたしたちの人生の輝きなのではないだろうか。

そうやって無駄になってもいいやんね~!と気楽に楽しんで、欲しい経験をしたとき、それこそ人生は最も有意義で無駄になどになっていないのではないだろうか。ああ、これはなんというパラドックスだろう。無駄になったっていいんだ!!と思ってみるのって、わたしたちを気楽で自由にしてくれるおまじないみたいなものですね。

というわけで今日は、得や効率よりも、無駄にしてこーぜ!!というお誘いでありました。そうやってアンタ、人を変えようとしてるだろう!と言われたらなんて言えばいいのでしょう。ごめんねごめんね。
でも、どなたかの「無駄でいいならやっちゃうよ?(≧∇≦)」という刺激につながっていますように!!という祈りを込めた記事でした。

それではまた、明日ね。

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