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待ち人には、うっふん。

2019年が明けて4日たってしまいました。
「#note書き初め」の投稿企画が流れてきたので、たまにはちょっとのってみます。

石井ゆかりさんの「星ダイアリー」についていた2019年のおみくじカードには(手書きじゃなくてプリント版)「待ち人:バッチリやってくる」とありました。
ほう、
待ち人が!
バッチリ!
やってくるのか!

えー、うれしいなあ。
……と、喜んでいたのですが、星ダイアリーを購入したのは9月。
忘れていたというと語弊がありますが、カードは星ダイアリーの内ポケットにおさまり、新年があけるまで出番を待っておりました。

大晦日を自宅で過ごし、ジャニーズのカウントダウンコンサートを見ながら2019年を迎え、徒歩2分のところにある神社へ初詣。

そこで引いたおみくじは吉。
お焚き上げの火を灯りにして読んだ「お告げ」には、また!
「待ち人きたる、よきたよりあり」
とあるではありませんか!

や、やっぱり来るんだ、待ち人!!
石井ゆかりさんも氏神様もおんなじこと言ってるよ!
石井ゆかりさんは「バッチリ」、
氏神様は「よきたより、あり」で、
「り」の韻まで踏んでるYO!

それで、私は真剣に考えてみることにしました。

私は誰を待っているのだろう、と。

………
……………
…………………いっぱい待っていました。

あの人とあの人とあの人からの返事、
あの人とあの人からのお声がけ、
あの人とあの人とあの人とあの人からのお知らせ、
あの人たちからの「いいね(比喩です)」。

「待つ」っていうのも、実はけっこうがんばらないとダメなんじゃないでしょうか。
受け身に見えるけど、反面、かなり忍耐力のいるタフな行為ではないかと思うのです。
相手に対する思いが「信頼」ならいいけど「期待」だと苦しいし、自分に対しても自信というか確信がなければ、なかなかしんどい。

そういえば、ここのところの私の課題として、やりたいことについて
「ガツガツ行くべきか、今は下手に動かずに好機をうかがうべきか」
というのがありました。
そんなとき、ブルゾンちえみの「待つの!」というシャウトが脳内にリフレインされ、「う、うむ……ここは待つか」と、ミツバチを待つ花になろうと思った2018年後半でした。

でも、花は何もしてないわけじゃないのです。
いい香りを漂わせてうっふん、ぐらいはしないと、永久にミツバチに気づいてもらえない。
花は花として、自分の持ち場をせいいっぱい生きているのです。

ということで、私は待つことにします。
自分なりにせいいっぱい咲きながら、
うっふん、しながら、
待つことにします。

2019年の終わりに、
「ああ、あの人が来てくれたね!」とおみくじを読み返し、
今度は鳥が来てくれるような実が成っているといいなあ、と思います。