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『ふたりぐらし』桜木紫乃

小説を読んでいて「ああ、これは、このひと(著者)は、私に向けて書いてくれているのではないか!」と感じることがあって、きっとそれは読書好きにとって本に手を伸ばすのが中毒的にやめられない要因のひとつだと思う。

大好きな小説家はたくさんいるけど、桜木紫乃さんは、そういう意味で私にとって特別な人だ。
桜木紫乃さんにお会いしたことはない。ファンレターも送ったことがない。
なので、もちろん実際に私を知っていて書いてくれているわけではないんだけど、紫乃さんの小説はいつも「なんで! 今!?」という絶妙なタイミングで、私に語りかけてくれる。
前作の「砂上」なんて、何度も変な叫び声をあげながら読んだ。
編集者と新人作家(正確には作家志望)の話なのだが、私はこの編集者のセリフをいくつかソラで言えるほど何度も反芻して、時々思い出している。

小説だけじゃない。
投稿時代、雑誌に掲載された紫乃さんのインタビュー記事を読んで、「私のこと叱咤激励してくれてる…」と泣いたこともあった。今でもその雑誌は丸ごと取ってあって、これもまた、時々読み返している。

前置きが長くなったけど「ふたりぐらし」。

映写技師の夫、看護師の妻。三十代の夫婦が織りなす慎ましい日々。
体と心をそっと寄せ合って、相手を応援したり、ちょっとヤキモチを焼いたり、信好も紗弓も、可愛らしくていとおしい。
淡々とした静かな小説なのに、突然ぱっと色香がにおい立つ。
読み手はハッとさせられる。ここに、こんな仕掛けがあったかと。
これが桜木紫乃節だなあ、と思う。

きっと世の中ではこういう情景を「ささやかな幸せ」と呼ぶのだろう。
でも、こんなにしっとりと満たされた夫婦の幸せを「ささやか」と言うのなら、ささやか以上の幸せはひとりの人間が抱えるには重量オーバーな気がする。ふたりが大切に育てている幸福は、これでぴったり、ちょうどいいのだと思う。
だからゆっくりじっくり続いていくんだなと、しみじみ穏やかな気持ちになった。

タイトルでもある「ふたりぐらし」は、主人公の夫婦だけに限らない。
周囲にさまざまな「ふたり」が登場する。それがまたいい。
紗弓の父が娘にかけた言葉を読んで号泣してしまった。
今作で「うわー、また紫乃さんが私に話しかけてくれてる……」と思ったのはそこだった。
そっか、私、これでいいのか。
こんなこと誰も言ってくれなかったよ。
というか、自分で勝手に、それはダメだと思っていたよ。
泣き終わったあとに、なんだか安心した。

この小説は、紗弓目線と信好目線で代わる代わる描かれた10編が連なっている。
どの章もそれぞれよかったけど、ラストの2ページは夜が明けていくようなあかるさを受け取った。
帯に「イッキ読み、厳禁!」と書いてあったんだけど、すみません、後半にいくにつれ我慢できずにイッキしてしまいました。
読んでよかったと思える本を閉じたときの、「ささやかな幸せ」。
でもこれは案外、めったに味わえない貴重な充足感でもある。
私にとってはこれも、ぴったりちょうどいい……もしかしたらちょっとこぼれて、何度か拾い集めるぐらいの幸福なんだと思う。