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感情はいいもの?わるいもの?

MICHi - みち -

ジュジュも、あと1ヶ月ちょっとで16歳かぁ〜。

出会ってから8年、最初は逃げられるし、震えられるし、人見知りでめっちゃ警戒されまくってたけど、今じゃだいぶ仲良し。

と、勝手に思ってる。

今、生き物のなかで、一番一緒に過ごしている時間が長いのがジュジュ。散歩もほぼ毎日一緒に行って、寝る時も一緒。

人生の中で動物と暮らしたこと自体が初めてだったけど、こんなに仲良くなれるもんなんだね。

ほんとに家族だもんなぁ。

16歳になったら、人間でいうと、大体80歳くらいみたい。

最近は、うちらを認識するまでにちょっと時間がかかったり、ものにぶつかったり、いつもは飛び乗れてたソファーに上がれない時がたまにあったり、少し視力と筋力が落ちてきたのかもしれない。

ジュジュ自身も急激な自分の変化に驚いているような感じで、家の中をゆっくり確認しながら歩き回ったりすることが多くなった。

生き物だから、いつか死はやってくる。
それはわかっていても、
そのときはめっちゃ悲しいと思う。

「悲しい」

という感情があること自体、
みんなはいいと思う?
わるいと思う?

というのもこれを書いたのは、普段ヨガを教えているなかで、ヨガの生徒さんの多くが、自分に「感情」があること自体に、苦しまれている方が多い気がしたからなんだ。


もう何年も前の話だけど、ヨガの練習も、ヨガを教えることも、相当ストイックに行なってた時期があって、そのとき、おれはほぼ全く「感情」がなくなったことがあった。

確かに心の中は静かだよ。感情の起伏がないからね。
だけど、人生楽しいか?と言われたら、
「楽しい」という感覚すらもないんだよ。

親友が亡くなっているのに
「悲しい」という感覚すらわかないときもあった。

そんなの人間かな?

いちばんびっくりしたのは、自分でそうしようと思っていないのに、駅で歩いてて電車のホームに歩いて転落していこうとしたときがあったときかな。

そのときはギリギリのとこで自分の中で
「何やってんの!」って声が聞こえて、
落ちなくてすんだけど。。
あのときはやばいと思った。


そんなとき、あるきっかけによって、
心の氷が溶けたときがあったんだ。

ほんと氷が溶けて水になるように、めっちゃ泣いた。

それで

「ああ、こんなに感情を溜め込んでいた、抑え込んでいたんだな」

って気付かされた。


そこからは、ヨガの練習や教えることについて見直した。ストイックすぎることの弊害についても実感した。

それまでのおれは、ヨガの練習や教えることを通して、「今」という瞬間にいることをし続けてたのかもしれないけど、でも「今」にフォーカスしすぎて、自分が本当は抱えていた感情や状況が見えなくなっていたのかも。

その結果、死にたくなった。

それっていいことかな?
おれはそうは思わない。

「今」にいることは大事なことかもしれないけれど、
それと同様に、
感情も含む、自分の「感覚」というのは大事だと思う。

ヨガをしてると、「雑念」とか言われたりして悪者みたいに扱われがちだけどね。。

でもそもそも、「いい」とか「わるい」とかないと思う。だってそれ人間の中の誰かが決めた概念だもの。

感情があるからこそ、音楽やアート、その他にも沢山、表現も生まれるんじゃないかな?感情を含め、感覚があるからこそ。

泣きたいときは泣けばいいし、悲しいときは悲しめばいい。無視してないがしろにしていると、その感情はいつかまた湧きあがってくるから。

でも、それがず〜っと続いて、
特定の感情に支配されると、
自分で自分を追い詰めちゃう。
その結果、死にたくなるときもある。

感情は無視し続けても死にたくなったりするし、
感情に支配されても死にたくなったりする。
そうなるの、きついじゃん。
俺も経験あるからわかる。

だから、大事なのはバランスかなって思ってる。

じゃあ、どうやってそのバランスをとるのか?って話になるよね。

いろんな方法があるからその一つを紹介するけど、瞑想するとき、目を閉じて感覚を観察していくよね。

感覚っていうのは感情や、記憶、体の感覚かもしれない、その他にも無数にあるし、時間軸も過去と未来とかバラバラ。いろ〜んなものが浮かんでは消えていく。

「いい」「わるい」といった自分の判断は入れずに、
その様子をありのまま観察する。

これを行ってくと、今、自分にどんな感覚が存在しているのか把握できるようになってくる。最初は瞑想したあとに、それをノートにメモしたりしてもいいよね。

それが把握できるようになってきたら、感覚一つ一つを一人の人間のように捉えて、それぞれの声に耳を傾けてみる。

不思議なことに、そのようにして感覚ひとりひとりの声を聞いて、その存在を認めると、特定の感覚だけの声が大きくなりすぎることが減ってくる。

感覚を排除しようとするのではなく、存在を認める。

すると、その感覚同士がお互いを尊重しながら共存して暮らすような感じになって、特定の感覚だけに振り回されず、段々バランスが自然ととれてくる。

それを「心が落ち着いてくる」と言い換えてもいいのかもしれないね。


と言いながらも、、ジュジュいなくなったら、
すぐに立ち直る自信、、、めっちゃない!!!

うちら人間含め、生あるものはいつか死ぬという自然の摂理はわかってても、、瞑想とかやってても、、

悲しいもんは悲しい!!

でもそのときは「悲しい」って感覚の存在を認めることが、その「悲しい」っていう感覚の声が小さくなっていくための一歩だからしょうがないよね。

「ミチなに言ってんだよ、そんなの当たり前のことだろ!!」

って言われそうだけど、以前のおれみたいにヨガやってて苦しくならないように、みんなも自分の感情、大事にしてあげてね〜!^_^


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MICHi - みち -
気分屋のヨガ講師。マイブームもコロコロ変化^_^ https://lit.link/sustainableyoga