ストリッパーズ
ストリップクラブが好きだ。
一糸まとわぬ自分の体を
表現のツールとしてさらすダンサーたちの覚悟を尊敬している。
どれだけの訓練をつんで
彼らが自分の肉体を鑑賞用に仕上げてきたのか
想像すると畏敬の念がわく。
風水が流行りだしたあたりから
神道が人気になってきた。
パワースポットとして神社を訪れる人が増え
方違えやら恵方参りやら、熱心に縁起をかつぐ人たちが増えている。
なのになぜ、ストリップは衰退の一途をたどっているんだろう?
天岩戸伝説。
岩屋に引きこもったアマテラスを誘い出すために
アメノウズメが胸もアソコもさらして裸で踊り狂い
八百万の神が大盛り上がりした。
あまりにも有名でベーシックな日本神話。
もともと日本の文化は、性に対してあけっぴろげだ。
ハダカには、力がある。
当たり前のそのことを、悪としなかったのが日本の文化だ。
アニミズムの観点から見れば、生殖は豊かさや繁栄の象徴で、神聖なものなのだ。
国際化という名の西欧化が進んで
性にまつわることがどんどんタブーになってきた。
西欧における禁欲的価値観は、あきらかにキリスト教の影響だ。
ハダカには力がある。
そのことにどう向き合うのが、人間にとって幸せなのか?
それが、キリスト教と神道の性のとらえ方を分けるんだろう。
キリスト教は普及しないのに
キリスト教ベースの価値観はどんどん浸み込んでいく。
神道は大流行りなのに
ストリップクラブはどんどん数が減っている。
私には奇妙にうつる。
なんでも受け入れる、というのが日本の文化の特徴だと言われる。
その柔軟性は神道の精神からきていると。
受け入れることと
あり方を見失って真似をすることはちがう。
かつての日本では、同性愛はタブーではなかった。
バイセクシャルは粋である、という価値観さえあった。
人それぞれの性的嗜好について寛容であるという点で
先をいっていた、とも言えるのだ。
私はこの国が好きだけど
柔軟性が度をこえて迷走してしまうことが悲しい。
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