一人きりの卒業式。私のためだけに読まれる送辞。
それらが、酷く恥ずかしくて、逃げ出したかった。
中学時代不登校だった私の話。
不登校の理由は色々あったけど、どれも決定的なものではなかった。
まあ、よくあるやつだ。
気に入らないことがあると無視してくる友人とか、すぐに中断される授業とか、厳しすぎる規則、それに反発する風潮。
あの学校に溜まっている空気が何もかも嫌いだった。
今にして思えば、少しうつっぽい症状が出ていた。
そもそも私のいた中学校は少し変わっていて、徒歩で通えるような「地元の公立中学校」ではなく、中高一貫校でもない(詳細はぼかします)。
何より、各クラスに一人か二人、必ず不登校の生徒がいるのだ。つまり、そういうことだ。
すると不思議なことに、なんとなく不登校どうしの奇妙な仲間意識が芽生えたりする。
たまたま通学路で会うと(もちろん、と言うべきか、お互い相談室登校のため本来の登下校時間とずれていた)会話をすることもあった。
三年間の出席日数が片手で足りてしまうような人から、私のように相談室登校をすることで紙面上の欠席日数を最小限にとどめていた人まで、色々だったけど、みんな同じような気持ちを抱えていた。
だから、思ってもみなかったのだ、まさか私以外全員卒業式には出席するなんて。
後日、数少ない友人(彼女は普通に学校に通っていた)に言われたときは愕然とした。「卒業式、病欠以外で休んだのお前だけだぞ」と。そんなの裏切りだ~!!と憤慨しかけたが、まあ皆欠席すると思い込んでいた私が悪い。今では笑い話だ。
とにかく、その後春休みに荷物を取りに行くことになるのも私だけだったわけで。母も先生方にご挨拶を、とついてきた。
そのときにあのサプライズは行われたんだ。
担任の先生に多目的室に連れていかれ、入ると「卒業生、入場」と声が聞こえたくさんの拍手に包まれた。その瞬間、すべてを理解した。そこには、先生方ほぼ全員の姿と、私のために用意された卒業式会場があった。
内容はよく覚えていない。最初の段階でもう、恥ずかしくて泣きそうだったから。感動で泣いている、と思われたくなくて必死に堪えた。
校長先生が私のために書いてくださった送辞を読まれ、卒業証書を授与してくださっている間、ずっと「余計な仕事増やして申し訳なさすぎる」「コレ毎年やっているんだろうか」なんて考えていた。母は号泣していた(言うまでもないが、感動で)。それにも興醒めしてしまって、帰り道私はずっとムスっとしていたと思う。
こんなことを書いておいてあれだが、先生方のことは大好きだった。授業も面白いものばかりだったし。理科が楽しくて理系の道を志したのも、中学時代のことだ。
だけど、あれだけは。
今も行われているんだろうか。だとしたら、私はその子に深く同情する。
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