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【ショートストーリー】のんびり姉の危機管理

 「ねえ、このまえ庭にいたカラスのことはもう話したかしら?あ、そう、話したわね。どこにも出かけられなくなったから、話題も尽きるわねえ」と姉は言う。おとといも同じことを言っていた。

 だいたい、姉は出かけようが出かけまいが、話題のない人だ。「◯◯に行ったの」「◯◯で食事したのよ」「◯◯さんに会ったんだ」で、はいおしまい。意見や感想がないのか、言葉にできないのか、忘れてしまうのかしらないが、その先が続かない。たまに何か意見めいたことを言ったとしても、それは彼女の言葉でないことが透けて見える。テレビのコメンテーターのせりふか、誰かの言ってたことを、あたかも今自分で思いついたみたいに話す。我が姉ながら、その薄っぺらさに嫌気がさす。

 姉はものを考えないのはさることながら、文字を読まない。読書の話ではない。本を読まない人なら大勢いる。メールや手紙やメモの類もそこになかったかのようにスルーできる不思議な体質なのだ。姉のところの子とうちの子は従姉妹どうし同じ幼稚園に通っている。園からラインで送信される「お便り」には行事のスケジュール、持ち物に関するお願い、集金のお知らせなどが記されているのだが、姉は「ふぇ〜そんなこと知らなかった。さっちゃんどーして知ってるの?」とのたまう。「お便り」に書いてあったよと言うと、その場で確認して「あーホントだ」と言う。文字が読めないわけではない。そこにあっても読むという行為に結びつかないのだ。姪っ子の身を案じて、私がその都度、来週◯◯があるよ、とか、明日は◯◯の代金を払う日だよ、とか電話して教えてあげている。

 そう言えば、母もそうだったなあ、と思い出す。手作りクッキーを持って遊びに行ったら「どこで習ったの」と聞くので「え?雑誌のレシピ見て作っただけだよ」と答えると、「やっぱり大学出は違うね〜」と言った。いやいや、レシピ読むのに学位はいらんだろうが、と思ったものだった。母は新聞にも、魚や野菜を包む以外の用途は見出せなかったようだーーテレビ欄は別として。姉の性質は母から受け継いだものなのだろう。姉家族は父が他界した後、実家を二世帯住宅にしてお隣に住んでいるのだが、この母と姉の会話を想像しただけで、私は空恐ろしくなる。

 そういうわけで姉には頻繁に電話をする。ところが、いつものように幼稚園のお知らせを確認しようとして電話をしたある日、いくら電話しても姉は出なかった。どうせ読まないだろうと思ったが、ショートメッセージもラインも残した。夜になるまで何度かかけ直してみたものの応答がなかった。私はいよいよ心配になって、帰宅した夫に子どもたちを頼み、徒歩10分の姉の家へ向かうことにした。

 なんとなく予感はしていたものの、的中すると私は怒る気力も失せた。姉の家の呼び鈴を鳴らすと、お風呂あがりでパジャマ姿の姉が出てきて、不思議な生き物でも見るみたいに私を迎えた。
 「あれー、さっちゃんどーしたのお?」

 どーしたもこーしたもない。なぜ電話に出ないのだ。
 「あっごめん。あれ?携帯どこだ?」ハンドバッグの中に入れたままクローゼットにしまってかれこれ、まる3日経っていたことが判明した。いったいこの人はほんとうに現代人なのだろうか?私が呆れていると、
 「うちの家電に連絡くれればよかったのに。さっちゃん、知ってるよね?」と変化球が飛んできた。
 「携帯番号知ってればいいと思って登録してないよ」
 「そうなの?登録しといて〜。あ、お母さんとこに電話くれてもよかったのに」
 「そこまで気が回らなかった」
 「そうだ。うちのパパの番号も入れといて」と言って、義理兄の連絡先まで教えてくれた。いつもと明らかに立場が逆転している。何だか私、姉に指示されてる?
 「それでもさ、お姉ちゃん。何かあった時のために携帯は携帯しておいてよ」と形勢を立て直す。
 「何かって?」
 「お姉ちゃんが急に具合悪くなって動けなくなっちゃうとか、事故に遭うとかさ。お母さんだっていつも家にいるわけじゃないし」
 「うちの子たちは平気よ。さっちゃん家までの道覚えてるから」
 これは大魔球だ。5歳と3歳の子がどうやって二人だけで、大人の足で10分かかる道を迷子にならずにこられると言うんだ。姉の後ろで眠たそうにしていた5歳の姪っ子が何やら話し出した。
 「さっちゃんはお家を出ると田中さんちの大きな柿の木に猫が登っているのをみました。さっちゃんが近づくと猫はぴょんと飛び降りて、クリーニング屋さんのほうへ逃げて行きました。猫が行ってしまったので、こんどはぞうさん公園のぞうさんにあいさつをして、歩道橋をのぼりました……さっちゃんはコンビニでアイスを買ってから、角のポストにお手紙を入れました。玄関に犬の置物のあるお家を通り過ぎると、青い屋根のさっちゃんのお家が見えてきました。めでたしめでたし!ほらね、愛ちゃんぜんぶ覚えてるんだよ」
 「ほら私、自転車乗れないから、いつも子どもたちとちんたら歩いてるでしょ。さっちゃん家に行くときの道をお話にしながら歩いてたら、この子ぜんぶ覚えちゃったのよね」と姉は、私から空振り三振を奪ったことなど知るよしもなく、眠たそうにあくびをしながら言う。

 なんなのだ、この人は。自分は限りなく呑気で不注意なのに、その受け皿の用意だけは抜かりがない。姪の愛ちゃんの無邪気な様子を見ていたら何だか身体の力が抜けて、笑いが止まらない。大笑いして出たのか、ほっとして出たのかわからない涙が出た。子どもたちと道順をお話にして歩くなんて楽しいこと、私には考えつかないよ、お姉ちゃん。私は小言を言いながら、急かして自転車か車に乗せ、移動中もイライラ、ガミガミ。姉と姪っ子たちの間に流れる時間が、とてもキラキラして思えた。姉の家からの帰り道、愛ちゃんのしてくれたお話を反芻して歩いた。手紙をそっとポストに入れるふりをしたし、青柳さんの家の犬の置物の頭もなでた。
 

 

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