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【ショートショート】人違いメガネ

 ここに僕の愛用するメガネがある。一見普通のメガネと変わらないのだが、かけると不思議な効果を発揮する。

 例えば、道を歩いている時に、向こうから話したくない相手がやって来たとする。クラスのいじめっ子から借金取りまで、人それぞれだと思うけど、そういう時にさっとこのメガネをかけるといい。相手は「あっ、人違いでした、すみません」と言っていなくなってくれる。メガネなんかでごまかせるもんか、と思うだろう。それができてしまうのだ。メガネをかけるのは僕なのだが、相手の目には全く別人に映っているらしい。

 先日、僕は会社帰りに飲み屋で一杯やっていた。ふと入り口を見ると、上司が入ってくるのが見えた。僕は今日の取引先での失敗を思い出した。こんなところで上司と飲むことになったら、くだくだと説教をくらうに決まっている。まずい!僕は胸ポケットにある例のメガネに手を伸ばす。
 「おい、田中じゃないか!ちょうどよかっ……」と上司は言いかけてやめた。「あっ失礼。人違いでした」
 僕はビールを飲み干して、さっと店を出た。いつもこんな具合にこのメガネは重宝するのだ。

 こんな僕にも彼女ができた。圭ちゃんという可愛くて頭のいい子。僕ははっきり言ってぞっこんだ。しかし一つ非常に困ったことがある。それは彼女とは、僕がたまたまメガネをかけている時に出会ったことだ。だから彼女の前では、どんなことがあってもメガネを外すことができない。メガネを外せば、彼女にとって僕は別人。きっとフラれてしまうだろう。

 ある休日、僕はひとりで映画館にいた。映画はちょっと退屈で居眠りしかけたその時、すぐ前の席で「やめて下さい!」という女性の声が聞こえた。痴漢だ、と気づいた。男は女性に声を上げられたことに腹を立てたのか、「このブス!」と怒鳴り、女性の肩を叩いて出て行った。反動で女性のかけていたメガネが落ちた。一瞬だったが、女性の雰囲気がガラッと変わったのを、僕は見逃さなかった。
 「あれ、圭ちゃん!」

 それはまぎれもなく僕の彼女の圭ちゃんだった。「えっ?もしかして…」と聞く彼女に、僕は胸ポケットからメガネを出してかけて見せた。「そう僕」

 どういうわけか、彼女も僕と同じ機能のメガネを持っていた。最初、メガネをかけた僕はメガネなしの彼女と出会い、今日はメガネなしの僕がメガネをかけた彼女を見つけた。今僕たちはバーにいる。

 「数学的にはあと2通りあるよね、今度試してみる?」と頭のいい圭ちゃんは言った。僕にはちょっと意味がわからなかったけど、ひとつ確かなことは、メガネをかけてる圭ちゃんもかけてない圭ちゃんも、僕には同じ圭ちゃんで、どっちも好きだなあ、っていうこと。照れちゃうけど。圭ちゃんもそうだといいな。

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