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[書評] こゝろ

夏目漱石『こゝろ』(Audible版、パンローリング、2015)

秀逸な朗読 この声で聴けてよかった

佐々木 健の朗読は見事である。一度、この声で聴くと、『こゝろ』は、この声で蘇る気がするくらい印象的。

『こゝろ』は日本で一番売れた作品とのこと。2000万部の数字を聞くと驚くが、日本人の6人に1人が読んだ計算にしては、作品の議論をあまり聞いた記憶がない。むしろ、日本で歴代発行部数が二位の小説『ノルウェイの森』(1000万部)のほうが、よほど話題になっているのを耳にしたことがある。友人と本の話をするときでも、『ノルウェイの森』なら話した記憶があるが、『こゝろ』はちょっと思い当たらない。

ともあれ、この作品を読んでみたかったが機会がなかった人で、朗読版を探しているなら、本書はおすすめである。ただし、一点だけ注意が必要。オーディブル版は、耳で聴くだけでほぼ完全にわかるが、上中下の下の最初に鉤括弧(「)、最後にも鉤括弧(」)が付いていること、これは頭に入れておいたほうがよい。この種の記号は朗読では読まれないからである。そして、この鉤括弧は作品の鍵になる要素である(下は全体が〈先生の遺書〉)。

それから、一部、耳で聴くだけではわかりにくい言葉がある。漱石の時代と現代とでやや違う使われ方の言葉などがあるためである。それで、評者の場合は、二種の電子書籍を用意しておいて、必要に応じて参照した。『夏目漱石全集・122作品⇒1冊』(夏目漱石全集・出版委員会 第2版、2014)という電子書籍は、本作品に加えて、『心』広告文、『心』自序、『心』予告の3点も収めているので、参考になる。

読み返してわかるのは、上に下のヒントがずいぶんあることだ。2回め以降の読書では、上のあちこちで膝をうつ場面が増えると思う。

『こゝろ』のテーマを現代の地点から真面目に考えることには困難が伴う。漱石が〈自身の孤独と彼が生きた明治への運命的な一体感を暗示〉(桶谷 秀昭)していることは事実としても、その基礎となる明治天皇と乃木大将への思いについては、現代人が共有することはむずかしい。

しかし、親友と恋のバトルのテーマのほうは、現代人にも訴えかける普遍性があるだろう。

透明な文体の〈上・先生と私〉と、書簡体の〈下・先生と遺書〉(〈先生〉が手紙で秘密を告白する)とが響きあい、時代の精神と青春という、簡単には拭いされない、個人の内面に深い影響を及ぼすものの存在感がずしりと残る小説だ。

#書評 #夏目漱石 #明治

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