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シャン・ノース歌唱への旅立ち〜前史

My Musical Journey 器楽篇(ピアノ)に続き、歌篇を開始します。歌篇はほぼシャン・ノース歌唱のことになる予定です。

My Song Journey 0: ブラック・ホーク

アイルランドの無伴奏アイルランド語歌唱「シャン・ノース」の研究をライフワークにしようと思い定めたのはいつだったか。今となっては想いだせない。

■ ブラック・ホーク

おそらく故・松平維秋氏の番組でアイルランドの音楽を聴いたときか、彼が回すターンテーブルからの音がきっかけだったろう。彼は東京は渋谷の道玄坂にあったロック・フォーク喫茶ブラック・ホークで選曲を担当していた。同時に大阪のラジオ局FM大阪で「ビートオンプラザ」という番組のDJを担当し、毎日1枚のLPをかけていた。

※ ブラックホークはそれじたいが伝説化した喫茶店で当時としても特異な存在だったと思う。次のような本も出ている。

[『渋谷百軒店ブラック・ホーク伝説』、2007]

同書の説明には松平維秋の次の言葉が引用されている。「そこでは何年後かに、"幻の名盤"となるレコードが、幻ではなくリアル・タイムで流れつづけた。」

ぼくは大阪は梅田の阪急東通商店街にあったLPコーナーという店にほぼ毎日通い、英国〜アイルランドの音楽の輸入盤を漁り、めぼしいものは片っ端から試聴していた。渋谷のブラックホークに聴きに行ったときは渋谷のヤマハか吉祥寺の芽瑠璃堂か上野の蓄晃堂か新宿のディスクユニオンなどで輸入盤を入手していた。これらの店はみなブラックホークで教えてもらった。

その頃は輸入盤の購入は居合抜きのような雰囲気があった。レアで質のよい盤の存在を知っていることじたいが特別なことであり、その盤がないかと訊くと、凄腕の店員の眼がきらりと光る、というまるで漫画のような世界がそこにはあった。

■ Ken Hunt

JUNET も BITNET もまだない頃、情報の収集はもっぱら英国の音楽紙か直接得た知識などによった。英国の Melody Maker 紙のフォーク欄に執筆していた音楽批評家たち(特に Ken Hunt や Colin Irwin)の文章を舐めるように読んだ。

※ Ken Hunt がやっているウェブサイト world music は知る人ぞ知るフォーク音楽の宝庫。

***

クラン・コラ

音楽評論家の大島豊さんと二人でアイルランド伝統音楽関連のメーリングリスト「クラン・コラ」を創設したこともある。

そもそもは、来日したアイルランドの伝統音楽トリオ CRAN の再来日を目指して、それが実現するような環境を作ろうというものだった。

CRAN (photo source )

いろいろな人の寄稿もあおぎ、情報と評論の二本立てで、ワールドミュージック周辺の言論を活発化させることには、一定の働きをしたと思う。

冒頭にブラック・ホークのことを書いたので一言ふれておくと、大島さんもブラック・ホークの常連であった。

さらにいえば、トラッド・フォーク・ワールド・ミュージック通販の老舗であるタムボリンの船津さんもブラック・ホークのスタッフだった。

大島さんと初めて出会ったのは、その頃は八王子にあったタムボリンの実店舗だった。

東京藝術大学

東京藝術大学ではアイルランド伝統音楽を専門に研究する学生・院生がいることがあり、そこからすぐれたグループ((e)ShuzoバンドやJohn John Festivalなど)や演奏家や研究者が生まれている。なかにはシャン・ノース歌唱を研究するひともいた。

(e)Shuzo Band, 'Trip' (2007)〔日本のアイルランド音楽史に燦然と輝く名盤。このスーパーグループのメンバーは豊田耕三(Irish fl, whistles)、大久保真奈(fiddle)、中村大史(bouzouki, g)、廣瀬沙耶佳(harp, bodhran)〕

Gケルト(東京藝術大学ケルト音楽同好会)という熱心なグループの活動のことなどは豊田耕三さんのインタビューに出てくる。

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