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[書評] 祈りが護る國 日の本の防人がアラヒトガミを助く

保江邦夫『祈りが護る國 日の本の防人がアラヒトガミを助く』(明窓出版、2023)

「AIエンペラー」その後 および若きイエス

本書は、保江氏の〈祈りが護る國〉シリーズの3冊めだ。第1の『祈りが護る國 アラヒトガミの霊力をふたたび』(2019)、第2の『祈りが護る國 アラヒトガミの願いはひとつ』(2022)に続く本。

本シリーズを読み続けている読者はどのように本シリーズを受止めているだろうか。

おそらくだが、評者のように、第1巻で「AIエンペラー」というとんでもないもの(第二次大戦時の昭和天皇の能力を米国が計算機に搭載した装置)の存在を知った読者は、これは注視する必要があると思ったのではないか。

第2巻では「AIエンペラー」の話はなかったが、この第3巻である本書で、その後の思わぬ展開が出てくる。それは思わしくない結果を今のところ生んでいるようで、憂慮される。

その思わしくない影響はまず米国に現れたが、同時に、何と日本の、それも京都に現れているという。これは空間の歪みというか、次元の割れ目というか、異界につながる扉というか、ともかく魔物の流れ込む道筋をこの世に生み出すこととなった。近年の米国で起きている、よからぬ現象の原因はこれであると著者はいう。

これは止められるのか。日本においては、各方面で努力がなされ、仮止めから、修復にいたるまで防御の作業がおこなわれたそうだが、完全に治すには、もとの米国のほうを正さねばならぬという。すなわち、米国で「AIエンペラー」を止めるしかないのだが、それは我々にはどうしようもない。

そもそも、京都ゆかりの天皇の力の情報を(日本の四分割統治をやめるのと引換えの条件で)取得し、言霊の幸うことなき米国で私しようとした魂胆が過っていたとはいえる。だから、米国(北西部)での実験中にゲートが開き、〈この技術はもともと京都を護るためのものなので、同じゲートが京都にも開いて〉しまったのだ(52頁)。えらい迷惑な話である。

というわけで、「AIエンペラー」のその後の話のほかは、天皇の負担を少しでも減らすために私たちにできることは何かという話題になる。これは、簡単ではないが、やる方向としてはシンプルである。

基本的には、左脳モードでなく、右脳モードでいく。中今に生きる。根拠のない自信を持つ。人がやらないことをやる。自分に優しくなる。目先のことに思い悩まない。死を恐れず正しい行いを貫く。「なにかのマチガイ」を止めない。「逃げ恥」(逃げるは恥だが役に立つ)。お金は人のために使う。自動運転を避ける。等々、著者がいつも自著で繰返し語る人生訓的なものが多い。

ところが、本書には、ほかに、非常にめずらしい内容(についての、おそらく著者の最新の見解)が少しだけ書いてある。以下、それについて簡単にふれてみる。

この内容(これまでも著者の本に時折でてきていた)は、本シリーズの主旨と深いところで関係はすると思うが、本書では詳しい説明はない。著者の本に馴染みの少ない読者は、これらに異質なものを感じるかもしれないが、評者には異質でないと感じられる。

この内容はふたつあるが、いづれも若きイエス(福音書の範囲外)に関る。

まず、イエスとマグダラのマリアについての次の記述。

〈マグダラのマリアとイエスがハトホルの秘儀をしたのは、事実だと思います。ただ、それがどういうものだったかは、失伝しています。〉(52頁)

この場合の秘儀はエジプトのギザの大ピラミッドでのそれをさすが、著者が用いた「事実だと思います」は珍しい表現だ。著者は、物理学者として平叙文で〈〜です〉とさらりと言ってのけるときは、数式で100%裏づけ可能な内容を確信をもって語ることが多い。それに対して、このように〈〜と思います〉のような表現をとるのはどういうことか。本当は〈事実だ〉と言いたいところだが言わないのは、理由がある。次の文にある通り、〈失伝しています〉からだ。

〈失伝している〉とはどういうことか。「失伝」は辞書にもない。文字通りに解せば、〈伝が失われている〉ことだろう。〈伝〉は広い含意がある。元々それを伝えていた口頭伝承や文献資料などが伝存しないことを、ここで〈失伝〉と言っているのだろう。

著者が〈事実だと思います〉と述べるのは、ひびきとしては確信に近い。

いづれにせよ、ここでハトホルの秘儀に言及するのは、本書の大テーマ、天皇の祈りを助ける我々のつとめを果たす際に、〈魂を広げた状態〉(209頁)になれ、ということにつながる。

もうひとつ、20代のイエスについての次の記述。

〈キリストは20代の頃、わざわざ日本にまで真理を学びに来ました。
 あまり一般には知られていないのですが、キリストの教えとして残されているものがたくさんあります。〉(165-6頁)

この書きぶりは、上の〈マグダラのマリアとイエスがハトホルの秘儀をしたのは、事実だと思います。〉とは違う。〈失伝〉していない。〈キリストの教えとして残されているものがたくさんあります。〉というのだ。

〈キリストが20代の頃、真理を学びに来た日本〉とは、著者の別の著作によると、〈秋田、青森のあたり〉という(『封じられた日本史』57頁)。

#書評 #保江邦夫

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