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[書評] ソングの哲学

ボブ・ディラン著、佐藤 良明訳『ソングの哲学』(岩波書店、2023)

ポピュラー・ソングの全貌を見通すような本書を捧げる相手としてディランはある人を選んだ

ボブ・ディランは誰に本書を捧げたのか。

ドク・ポーマスである。

この名前を聞いてピンとくるような人を除けば、本書は、尽きることのない興味がわいてくる、知的刺激にあふれた書である。

ちなみに、Doc Pomus (1925-91) は、本書の終わり近く、第63章のうた 'Viva Las Vegas' の共作者の名前として出てくる。

ニューヨーク生れのブルーズのシンガーであり作者である。黒人ではない。小児麻痺にかかったユダヤ人として松葉杖でステージに立つ彼の勇気と才能を人びとはたたえた。

どれほど良い曲を書くかということは、Leon Russell がうたった 'Young Blood' の作者だといえば足りるだろう。あるいは、Ray Charles がうたった 'Lonely Avenue' を挙げれば。

Doc Pomus の息子さんの Geoffrey J Felder 氏が1997年に語ったところによれば、'I remember the time Dylan came over to my dad's apartment to discuss life, songwriting, etc. My dad was very impressed with Dylan and always thought highly of him.' (Expecting Rain) とのことだ。二人が写った写真もある。

以下、気になった章について、少しスケッチしてみる。翻訳者が版元のサイトに寄せた解説から引用するときは〈〉で囲み、本書から直接引用するときは「」で囲む。

なお、評者にとって、本書は3冊めである。1冊めは 原書 、2冊めはディラン自身が吹き込んだオーディオ・ブックだった。


1章 Detroit City

〈昼間は車工場を、夜は酒場を支える毎日。Make the cars / make the barsというふうに押韻〉

〈貨物列車にただ乗りして都会に. . .綿花畑の広がる国元からの放浪。その寂寞とした距離感がブルースとカントリー・ソングに共通〉

But by day I make the cars and by night I make the bars の make the bars はふつうでない表現。


2章 Pump It Up

〈このソングの言語を「ニュースピーク」と呼ぶが . . 言葉をちぎって投げつけるしゃべり方、歌い方を指して . . いるのだろう〉


torture her/talk to her/bought for her/temperature pressure pin/other sin


3章 Without a Song

「ペリー・コモはシナトラ軍団に属さなかった」

〈「シナトラ軍団」(The Rat Pack)とは、フランク・シナトラ、ディーン・マーティン、サミー・デイヴィスJr.、ピーター・ローフォード、そしてジョーイ・ビショップ〉

〈図版のシートミュージックは、この曲が1929年に初出版されたときのもので、表紙の顔はオペラ歌手のローレンス・ティベットである。〉
この図版の印刷は原書より美しい気がする

Tibbettは
A darkie's born
But he's no good no how
Without a song
と唄う。

Comoは
A young one's born
と唄う。

「(コモが)余計なことをせずにすむのは、彼が本物であるからだ。ポケットに稲妻を持っている者は自慢しない。舞台に出ていって、バンドの音がよく聞こえる角度に頭を据え、聴衆の前で歌うだけ……すると眼前のみんなが夢心地になる」 
ディランの公演で同じことを感じた。


4章 Take Me from This Garden of Evil


〈(メンフィスのサン・レコードの)大物をさしおいてディランは、無名に近いアーティストの、お蔵入りしたレコードを取り上げる。理由は罪に汚れた人間たちを歌うこのうたが、歌詞においても、逼迫した演奏においても、ゴスペルになっているから〉

大物
Elvis Presley
Carl Perkins
Jerry Lee Lewis
Roy Orbison
Johnny Cash
B.B. King
Little Junior Parkerら

〈サン・レコードが、その出発点において、白人黒人の境界だけでなく、世俗の享楽と神にすがる情熱との境界も越える場になっていたことが、この録音からわかる〉

〈魂の問題として、ゴスペルとロックの間にどれだけの違いがあるというのか。〈火の玉ロック〉でピアノを叩き回るジェリー・リー・ルイスの熱狂は、ギターを抱え南部の町を歌って回ったゴスペル歌手シスター・ロゼッタ・サープと、どれだけ違っていたというのか。〉

Jimmy Wages b. in Tupelo, 1935
〈(ウェイジズがプレスリーと)同じ学校に行ったとか、母親同士同じ工場で働いていたといった記載もネットには見える。事実はわからない。その靄の中から紡がれた本エッセイで、ディランはジミーとエルヴィスが入れ替わっていたらどうなっていたかと想像する。〉

This little girl is gonna set my pace
Well now take me from this garden of evil
Deliver me over yonder
「これはロカビリー・スタイルで歌われる、最初で唯一のゴスペル・ソングではないだろうか」 (This record might be the first and only gospel rockabilly record)


9章 My Generation

〈アメリカでの「ジェネレーション」の捉え方だが、 generation は動詞 generate (生み出す)と結びついているので、日本語の「世代」よりも、もっと長いスパンで考える。かつては親子の年齢差(約30年)をもって一つのジェネレーションとした。〉

〈現代のアメリカのジャーナリズムは、ジェネレーションX(略称「ジェンX」)を「ブーマーズ」に続く世代(1965-80年生まれ)とし、以下「ミレニアルズ」(1981-96年生まれ)「ジェンZ」(俗称「ズーマーズ」1997-2012年生まれ)と、16年単位で区切るようになっている。〉


10章 Jesse James

〈伝承歌だ(中略)マクリントックは、IWW(世界産業労働組合)の労働運動にも身を投じてジョー・ヒル(1879-1915)らと共に戦いつつ、民衆団結のためのうたも書き始め(た)〉
cf. I dreamed I saw Joe Hill last night / Alive as you or me


12章 Pancho and Lefty

〈(本書で)ディランが語っている物語の細部は、その多くが歌詞にない。(中略)ただ、これは彼の「持ち歌」でもある。ソングの奥にある「真実」を語る資格は十分あるだろう。〉


13章 The Pretender

〈同時代のヒットメーカーは滅多に取り上げられないこの本で、ジャクソン・ブラウンのこのうたを、ディランが「グレイト」と形容するのは何故だろう。〉

〈歌詞を見る限り、この男、偉大さから見放されている。〉

〈平凡な一日の繰り返しの先に、ドリームの世界が開けているとは、このうたの主人公の場合、とても思えないのに、その夢がいつかあたかも叶うかのようにプリテンドして生きている。〉

〈韻の揃え方がユニークだ。プリテンダーを囲む広告が、消費者(スペンダー)の心を拝金に駆り立てる。それに対して真の対向者(コンテンダー)になるかもしれない「愛」はどこへ行ってしまった?〉

〈(The PlattersとBrowneの間の)20年間に、ポピュラーソングが、華麗にプリテンドすることから、リアルな世界を見つめることにシフトしたとすれば、その「現実化」に誰よりも貢献したのがボブ・ディラン本人だったというのは、多くの人が認めるところだろう。〉
ピアノは Craig Doerge.


17章 Ball of Confusion

本書で〈哲学〉を最も感じさせる章だが、肝腎のところに注がない(岩波サイト)。

最後の文
「おまけに、スティーヴィー・ワンダーがハーモニカを吹いている。」
その説が根強くあるが本当は Mike Campbell がこの録音で吹いたと 証言

'Just got off the phone with Mike. Confirmed. It was he that played on the record. He told me that the song was in a strange key not really suited for the harmonica, but he pulled it off.' (ralpht, 12 July 2014)

本章最後の文の直前
「数年前にモータウンはテンプテーションズのヒット曲の、ボーカルトラックだけのヴァージョンをリリースした。それにこの曲も含まれる。バッキングトラックがいくら凄いといっても、マイクロフォンの前に五人が集まって歌うのを聞けるのは最高だ」
アカペラ版


21章 If You Don't Know Me By Now

〈本当の読み所は . . 宗教心の衰退へのコメントの方にあるように思える . . . プライドを失わないことが何より大事という教育が徹底しているアメリカで、神の前にひれ伏す気持ちが消えたらどういうことになるか〉

「かつて宗教は、われわれの飲む水の中、吸い込む空気の中にあった . . . 実のところ、世俗のうたも、賛美歌の基盤の上に誕生した」

「文脈がすべてである。人々の暮らしの中に物事がうまく収まるよう手を貸す」
ラヴソングに見えて神が人に向けて語りかける歌にも聞こえる。


23章 El Paso

「カトリックの、普遍的な、真理のうただ」
深遠で難解な章。Michael Karwowski, 'Bob Dylan: What the Songs Mean' の愛読者は必読の章かと。

Marty Robbinsの祖父のRobert "Texas" Heckleの書をディランは'Rhymes of the Frontier'と書くが表紙には'Rymes'と綴られている。


28章 On the Street Where You Live

「一言で言えば、三音節ライムを連発するうたである」(three-syllable rhyme)
street before / feet before
heart of town / part of town
bother me / rather be

「こういうのならだれでもできる」
here at last / clear at last
ring that bell / what's that smell?
Make it rhyme / any old time
Vic Damone / Sick at home

最後の3つ以外は脚韻の定義に当てはまる。

最後の1つは母音韻(他の2つは近似的母音韻)。


31章 Old Violin

「ライヴ映像 . . . 体を揺すり、マイクの前に顔を寄せてはひとこと胸に迫る台詞を吐いた後、ギターを掻く腕を一瞬止めて、天を指すかのように高く挙げる仕草」 とディランが書くのは、この 映像


38章 My Prayer

米文学者がなぜこの表記をと訝しむ向きもあろうが邦盤に基づく。

本書の誤記の訂正あり。

〈バッハ原曲の〈アメリカの歌 / American Tune〉は、本書のここで初めて言及されるサイモン&ガーファンクルのレコード(本文の誤記をお詫びします)。〉


40章 Doesn't Hurt No More

ディランの鎮魂歌に名訳で応えた。

この章のためだけでも本書は買う価値がある。

「考えを拒絶し投げ捨てると、思考は破裂し、重く垂れこめる霧雲となる——煉瓦の壁ほども厚かったそれが、百万の断片に割れて飛び散り、失われていく」


55章 Old and Only in the Way

「ブリッジの部分で歌われるように、老齢は、墓場と同様、われわれすべてが、確実に行き着くところなのだ」

For remember while you're young
Old age to you will come
And you'll be old and grey and only in the way

〈いろいろなうたと映像になじんだ上で、ディランのこのエッセイをじっくりと読み直してみると、また格別な味わいがある〉


56章 Black Magic Woman

ディランのリリクス論が凝集して出てくる。

「うたの歌詞は目で見るものではなく、耳で聞くべく書かれた」

「作詞には詩論が、作曲には数学があって、ともに何千もの規則をもってソングを仕切っているけれども、それらは単なるガイドラインだ」

「歌詞とミュージックが一緒になって起こることは、むしろアルケミー(錬金術)に近い」

「音楽をサイエンスに作り変えようと試みるのもいいが、サイエンスでは一足す一が二にしかならない。音楽は、繰り返し教えてくれる。. . . 条件さえ整うなら、一足す一は三になるのだと」


66章 Where or When

「うたとしてのデビューは . . ブロードウェイ劇『ベイブズ・イン・アームズ』」

「舞台での初演から二年して . . 映画版が作られた」

そのトレイラーに見たことのあることばがある。
song-and-dance man

#書評 #ボブディラン #BobDylan #歌

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