見出し画像

[書評] 超訳 古事記

鎌田東二『超訳 古事記』(ミシマ社、2009)

古事記を口承の物語として記憶にとどめる

これほど記憶に残る古事記は初めてだ。

もともと口承の物語だった古事記を宗教学者が語り直し、それを編集者が文字起こしし、整えてできたのが本書だ。記憶の中から語り、それを聞いた人が書きとめるという、古事記成立と同じプロセスを現代においてやったわけだ。

そういう本書だから、読む/聴く人の記憶に残るのは当然と言えば当然。

そういう口承性に関心があれば、ぜひとも、著者朗読の Audible 版をお勧めする。

冒頭の創世の神々のところ。原文の漢文では2行くらいしかない部分。

天地初發之時於高天原成神名天之御中主神次高御產巢日神次神產巢日神此三柱神者並獨神成坐而隱身也
(天地[あめつち]初めて發[ひら]けし時、高天原に成れる神の名は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、次に高御產巢日神(たかみむすひのかみ)、次に神產巢日神(かむむすひのかみ)。此の三柱の神は並(みな)獨神(ひとりがみ)と成り坐(ま)して、身を隱したまひき。)[読み下し文は日本古典文学全集による]

このままだと、へたをすれば神名の列挙か、で終わるかもしれないところ。だが、本書ではこの2行がまるまる2ページに展開される。擬音入りで。まるでアニメ版天地創世物語でも見ているような臨場感だ。次のように続く。Audible 版では節目に法螺貝が聞こえるが、これは法螺貝奏者でもある著者によるものだろう。

天地(あめつち)の はじめ
天(あま)の原に 風が 吹く

しゅうう… ふぅう… しゅうう… ふぅう…
しゅうう… ふぅう… しゅうう… ふぅう…

そこに 天の 中心をなす神が 現れ 出る
天のまん中に開いた 大きな 大きな 孔(あな)の神
柱 となる神
すべての始まりの みなもとの 神
天之御中主神 という 風を 生み出す 天の孔柱 の神が 現れ 出た

そこから さーっと 霧のように 噴き上がってくる
高御産巣日神

原文の26字の部分(天地初發之時於高天原成神名天之御中主神次高御產巢日神)が以上のように展開される。

〈天地のはじめ〉の後に風が吹くとあるのは興味深い。

すぐに想起されるのは創世記の冒頭だ。

初めに、神は天と地を創造された。地はむなしく何もなかった。闇が深淵の上にあり、神の霊が水の上を覆うように舞っていた。(フランシスコ会聖書研究所聖書)

ここで〈神の霊〉の〈霊〉はヘブライ語で ר֣וּחַ (ルーアハ)すなわち〈息〉である。この語は旧約聖書で200回以上用いられるが、英訳では breath や spirit 以外に wind と訳されることもある(例—— and God made a wind to pass over the earth, and the waters asswaged [assuaged]; [Gen 8.1, AV (KJV)])[(神は)地上に風を送られたので、水の勢いは収まった。(聖書協会共同訳、創世記 8章1節)]。

神霊を風のように感じることは、創世神話では特にめずらしくないのかもしれない。

鎌田氏の自由訳による古事記で、特に記憶と印象に残るのは次のような箇所だ。

・大穴牟遅(おおなむち)、稲羽の素兎(しろうさぎ)を助ける
・邇邇藝命(ににぎのみこと)、恋に落ちる〜木花(このはな)の佐久夜毘売(さくやひめ)、三人の子を産む
・山幸彦(やまさちひこ)、豊玉毘売(とよたまひめ)と結婚する〜豊玉毘売の出産

これ以外にも沢山あるが、これらの場面は、読んだ/聴いた後、脳裏から消えることがない。思い出すと太古からつづく感慨や哀切の感が漂う。

古事記はさまざまの版で親しんできたが、鎌田訳は忘れられないものになった。

#書評 #鎌田東二 #古事記

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?