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[書評] 補語の本質が通常補語としてのみ説かれるものと髣髴の間に連なること

細江逸記『目的補語としての副詞』(盛岡ペリカン堂、2018)

細江逸記『目的補語としての副詞』(2018)


初出は「英語青年」第84巻第1号(1940年10月1日)。前著の『主補語としての副詞』とあわせ読むべき論文。

『主補語としての副詞』では、〈副詞が主補語として用ひられる場合〉を扱った。

例えば、

That's verily. (Shakespeare, 'The Tempest', 2.1.321)
(それは本当だ)

のような用例の verily について、〈古来多くの学者は、補語は名詞にあらざれば形容詞でなければならないという謬見に囚はれて〉形容詞と見てしまう。だが、著者によれば、それは、もとから謬見であり、副詞と見るべきである。

補語に副詞が出現する理由について、著者は〈(補語は)述部の構成分子として動詞に付属するものであり、凡て副詞的性質を有するものであるが故〉であるとする。

上の例で、verily が副詞であり、形容詞としての用例がないために古来の学者は謬見に囚われて考えた。が、この種の副詞の用法は〈古文には夥しく存在する〉と著者が述べるとおりで、上のようなものを形容詞と曲解したとしても、では次の用例はどうだとなれば、同じ謬見を繰返すしかなくなる。

That is worthily / As any ear can hear. (Shakespeare, 'Coriolanus', 4.1. 53-54)
(それは立派である。如何なる人の耳に入れても)[細江訳]

本書では、この議論を目的補語に広げる。

例えば、次の例。

… those that she makes honest she makes very ill-favouredly. (Shakespeare, 'As You Like It', 1.2.42-43)
(運命の女神が性格を誠実にする人は、顔の方はとても醜くするのが常です。)[細江訳]

これについて、ドイツの碩学 Franz が、〈ill-favouredly の語尾 -ly は、類義の形容詞 ugly の語尾が、連想作用の結果として付着したものであろう〉と説明していることを引き、著者は、連想作用からこのような〈雑糅現象が見られることは疑ふべからざる事実〉とは認める。が、著者の見解では、この Franz 説は〈畢竟皮相の見に過ぎない〉。

著者によれば、われわれは〈今一度、補語たるものの本質にまで掘り下げて此現象を観なければならない〉。

本書を読めば、その必要性について痛感させられるだけでなく、例えば、次のような例についても正しい理解に達することが容易になる。

The best news is, that we have safely found Our king and company. (Shakespeare, 'The Tempest, 5.1.221-2)(何よりもうれしい事は、王様と御伴の方々をご無事に御見上げ申した事です。)[細江訳]

もし、本書のような観点に立たなければ、このような例に接する人は、副詞 safely を 次の動詞 found にかけて読むだけに終わり、正しく目的補語ととる(=we have found Our king and company safe)ことができなくなるおそれがある。

類例は非常に多く、しかも、古文だけでなく、現代にいたっても広く見られるので、誤解するおそれは多分にある。

本書のたった一つの問題点は、細江の日本語がむずかしいことである。

例えば、上記の「雑糅」(ざつじゅう)は、現代人がふつうに使う語彙にはないかもしれない。

本書が結論とする次の文章も、日本語としてはきわめてむずかしい。

〈補語たるものの本質を知り、それが通常副詞としてのみ説かるべきものと、髣髴の間に連なるものであること〉

これは、簡単に言えば、言語が〈一箇の連続体〉であることを言っている。つまり、前著の言葉を借りれば、〈形容詞と副詞、副詞と補語とは一連の用法である〉ということである。

副詞本来の用法と、副詞の補語としての用法とは、連続しており、そこに使われる語は〈形容詞と副詞との間に振動(oscillate)して居る〉と見るべきなのだ。

このような見方は、評者に言わせれば、量子的文法論である。おもしろい。

#書評 #副詞 #目的補語 #細江逸記 #英文法

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