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[書評] 主補語としての副詞

細江 逸記『主補語としての副詞』(盛岡ペリカン堂、2018)

細江 逸記『主補語としての副詞』(2018)

刮目して生きた英語の実際を見よ

英文法学者の細江 逸記が副詞補語について「英語青年」1940年4月号に書いた論文。なお、英語学者、英米文学者向けの雑誌「英語青年」は、1898年に創刊され、百年以上続いたが、2009年に休刊した。

『主補語としての副詞』は小著だが、本書に挙げられる数々の用例、すなわち主格補語(subjective complement)に副詞が用いられる例などに関心をいだくひとには興味深い本だ。基本的にこの種の問題は世界最高最大の辞書 OED などでも解決がつかないことが多く、本書の存在意義がある。

著者によれば、補語に副詞が出現することは、〈生きた言語を見る用意のある吾々には、当然の事を成す以外の何物でもない〉。

ところが、〈古来多くの学者は、補語は名詞にあらざれば形容詞でなければならないという謬見に囚はれて〉解釈に〈種々苦悩した模様である〉という。

なぜ、補語に副詞が出現する現象と出会うのか、その理由について著者は、〈(補語は)述部の構成分子として動詞に付属するものであり、凡て副詞的性質を有するものであるが故〉であるとしている。

OED ですら副詞と見る bright や sweet の例の場合は、〈形容詞と副詞との間に振動(oscillate)して居る〉という。

こうして、〈形容詞と副詞、副詞と補語とは一連の用法であるので、英語に於いては、他の多くの国語に於けると同様に、副詞が立派に補語として働く用法が厳として存在したのであり、今も存在する〉と述べる。

他の言語の例が挙げられていないので補足すると、英語の He is well. のような言い方は、例えば、アイルランド語の Tá mé go maith. のようにふつうにある。

最後に、本書が挙げる興味深い用例をいくつか引いておこう。

That's verily. ('The Tempest', 2.1.321)

That's worthily / As any ear can hear. ('Coriolanus', 4,1.53-4)

Myself hath often over-heard them say / . . . That Lucius' banishment was wrongfully. ('Titus Andronicus', 4.4.74-6)

Safely in harbours / Is the King's ship. ('The Tempest', 1.2.226-7)

以上はすべてシェークスピアから。

著者が本論発表当時に近い現代英語の例としては1910年の桂冠詩人 Masefield による例、1931年の小説家 Galsworthy による例が挙げられている。

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