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昭和風俗への回帰ってなんでしょうね

ここ数年、とりわけ去年・今年と昭和レトロや昭和風俗をテーマにした商業活動が増えている気がする。
時代が令和に変わり改めて昭和の良さに想いを馳せる、振り返るといった意味もあると思うがその取り組み方には釈然としないものを感じる。

―主にそういった施策を実行しているのは大手土地不動産業の方々で、展開先は商業施設となってくる。

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例えば「○×横丁」のような名目で展開したりと様々だが、それはあくまでも雰囲気だけを取り繕い"昭和的な"エッセンスを掻い摘まんだだけの魂の宿らない器だ。そういうものを「虚構」と表現する。

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揚げ足を取りたいとかではなく、本当に理解せずやってしまうことがよろしくない。
なにかというと「純喫茶&スナック」というコンセプト。
そもそも「純喫茶」という定義や法的区分を無視していますね。

純喫茶(じゅんきっさ)とは、酒類を扱わない、純粋な喫茶店のこと。酒類を扱い、女給(ホステス)による接客を伴う特殊喫茶(カフェー)に対してのレトロニム的な呼称。

少なくとも文化的背景への理解や過去へのリスペクトがあれば、こんな粗末なことはしないはずです。

お店のコンセプトについてはそういうものとして、まず第一に昭和時代に存在していた(いまも存続しているところはあるが)そのような横丁にはじまる「街」は、市井の人々の暮らしや文化といったものの延長線上に存在していた。
だからこそ宿るべき魂があり、それは生きた街だった。
そのような生活感や雑味、生活者の想いやため息などの掃き溜め的蓄積があったからこそ醸成された街を、なんのこだわりも想いもない人達がかたちだけ真似たところでなにも生まれやしない。

むしろ、そのような文化や地域の繋がりや情緒といった「街の情景」を積極的に、それも嬉嬉として破壊していった大手土地不動産業の人々が、再現するなんていうのは悪い冗談としか思えない。
悪趣味というレベルではなく完全なる冒涜に近いんじゃないかと思う。

もし、昭和レトロや昭和風俗を"飯の種"にしたいのなら、地方で衰退して瀕死になっているそのような横丁なり店を買い上げてすべて東京に移築して、その営みを継承してあげてほしいという気持ちがある。
大規模商業施設開発に係る膨大な予算をもってすれば不可能ではないが、利益的なことを考えればROI視点でいいか悪いかという話だろう。

ただ、もはや人口は減り続け日本が持ち続けてきた約百年ほどの文化も消えゆく状態だ。
と、考えるならばこれからなにかを破壊して更地を作って文化消滅を促進させ、誰がいつまで使えるともわからないものを新たに作り続けるという流れはスマートなサイクル構造ではない。
大手土地不動産業が"文化を残すという社会活動(CSR)"の一環として無駄に金を使ってやる価値はあるんじゃないですかね。
いまは無駄と思っても、近い未来に価値になるはずです。


私は企業やサービスのブランディングに携わり、ときに課題解決やCSRのような文脈で仕事をしています。
ここで例に挙げるようなクライアントと仕事をしたこともあります。
多くの人が「でも、そういう商売なんだから仕方ないじゃない」という事象ですらブランディングという仕事をしていると、例えば…こういった"文化の消費"みたいなモヤッとすることを必要以上に気にしてしまうわけです。

現時点でこのモヤモヤに特に答えはないです。
なぜなら解決方法は無数にあり、その解決方法を対価業務として請け負うことが私の仕事なので、いま答えを出さなくてもいいやと思うからです。
ずるい逃げ方ですが「でも、そういう商売なんだから仕方ないじゃない」といつも通り思ってもらえればいいです。

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