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日本ドラマの「サイコパス/ソシオパス」表現は違和感がすごい。

日本のドラマや映画などでは、ある人物がクライマックスに本性を示し豹変して「ワハハー」「ヒャッハー」って大笑いする、傍目にも恥ずかしい演技の演出がありますね。
あれはサイコパス/ソシオパスをまるっきり間違って捉えてるんだと思う。
たぶん、発狂者か演技性パーソナリティ障害の切り取りだ。
そもそもサイコパス/ソシオパスの「問題」は共感性と倫理観の欠如で、その人におけるごく一般的な心理状態のままその延長線上で悪さや迷惑行為を働いてしまう点で、急に豹変したり笑ったりしないし、むしろ淡々として「普通」に問題行動をするから恐いのである。

ああ、言い忘れた。
これは精神疾患について書かれたポストではないです。

倫理観の欠如といっても、一般的な法に定められたことは理解している。
急いでいるからと赤信号を無視すれば罪に問われるし、胸焼けで薬局に駆け込み胃薬を盗んで捕まれば警察が来ることぐらいわかっている。
ただ、「急いでいるからたぶん自分は無視してもいいんだよね」と思ったり、「いっぱい胃薬があるんだからひとつぐらいもらってもいいよね」と判断できてしまうところが、多くの「一般的」だとするみなさんと違う点。

なので、いつも邪魔をする嫌な人がいたとして「よし、懲らしめよう」と階段から突き落としたり「いやいや、この人が存在するから不愉快な思いをするんだ。原因を取り除けばいいのかな?」と殺害してしまったりそういう拡大解釈が生まれたりもするでしょう。
日常思考の延長にすべてがあって「雨が降るから傘をさす」のと大した変わりはない。

厄介なのは、背中を押して階段から転落した人がいたとして「階段があったのが悪い」「階段から滑り落ちたのが悪い」「階段で落ちるぐらいで死ぬのが悪い」とは思うが、あまり自分に問題があるとは感じないところ。
懲らしめたり排除するのは「リスクヘッジ」で、正しいのだから批判されるいわれはないし、相手がどうなろうとそれは「原因を作った」その人の責任でしょうと感じるわけです。
どうしてもそう考えてしまうので歯止めがききづらいですね。

あと、共感性が低いということと情緒を知らないというのはまったく意味合いが違います。楽しい、嬉しい、悲しい…といった情緒・概念があることは当然わかっています。
ただ、その様子を見てもさしてなんとも思えない、自分事化できないというだけのことです。
だから、意味もなく笑ったりしないし別に面白いとも感じない。
笑わないということではなく、別にその状況を可笑しいとか思わないので笑う必然性が生まれない。
まあ、笑いのツボは人それぞれで、サイコパス/ソシオパスだってなにかを観て笑うことはあるし会話が面白いと感じればそれは笑う。
ただ、発狂しているわけではないので急に狂ったように笑ったりなどしない。だって、面白いと感じないんだから笑う必要なんてないでしょ。

サイコパス/ソシオパスであっても、当たり前の話だけどすべてが犯罪者ではないし行動をコントロールできる人も多くいて、社会生活をぎこちないながらそれなりに送っている/変人だが大成功していることの方が多いだろう。
他人にかける「迷惑の度合い」が問題なのである。

そう考えたときに、サイコパス/ソシオパスの犯罪者を描いて、冒頭に書いたような振る舞いにはならないだろう。
日本の映像作品ではいまだにこういった、トンデモステレオタイプな演出があってそれをヨシとしているあたり、非常に寒い。

ちなみに、連続殺人犯のサイコパスが追い詰められたときに言う台詞は「なんで、あなた達はこうやって責めるんですか? これってひどくないですか? 私を困らせたいんですか? どうかしてますよ。もっと他にやることがあるじゃないですか。」とかが正直なところじゃないですか?


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