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ポジティブな妥協点

たまにこんなことを尋ねられることがあります。

ビジネスではないものとして創作活動をする上でのモチベーションの源泉は何ですか? 維持し続けるためのそれは何ですか?

例えば、兼業活動かつ「生活を支えるほどの副業でもない創作活動」は限りなく制限事項が多くあるはずです。
わたくしが何かを続けるためのモチベーションの源泉は「面白さ」「好奇心」で、これがあると続けられます。
ビジネスというよりはアートに近い定性的な感覚ですね。
もうひとつあるんですがそれは「放り投げた石ころが、ある事象に対して何らかの変化を起こすためにどれぐらい影響を与えられたかの実験」みたいな少し難しい概念になるのでここでは省きます。

成果物の品質やゴール設定はどうしますか?

これも聞かれることがあります。
制作の仕事をしてる人は職場でしょっちゅう話題になることかも知れませんね。職場によっては人事評価の材料として求められるかも知れません。
これは色々な視点や考え方があるのでひとつの答えはないと思いますが、わたくしの場合はシンプルに考えます。
若い頃に雑誌編集や家庭用ゲーム制作の仕事を少しやってた時期があるんですが、最初に現場で言われたことは「妥協点の設定」というものでした。
これを意識しています。

アートや自己満足でやってる分にはいつまででも気に入るまでやればよいが仕事として「ヒト・モノ・カネ・〆切」が存在する以上は、ある程度の見切りをつけ「これで良し」とすべき適切な妥協点を見いだせなきゃプロじゃないよってことです。
適切な妥協点というのは「赤字にならないコスト」「リクープでき利益のレベルにのせられること」「価格や前評判に対して期待値を下回らない品質」みたいなものですかね。
120点とか200点みたいな成果物ではなく平均点75点以上の成果物を目指しましょう」でしょうね、極端な話。

これはメジャーなコンテンツビジネスだけでなく、自分の生命時間や資産を削って「アートではないものづくり」をするときにも当てはまる考えだと思います。
資金や時間が有限ではなく無限にあるのなら生涯をかけて3000億点ぐらい目指せばいいんじゃないかと思いますが「可能な限り自分の中の熱が下がらないうち」に、また「現実的なペースで成果物を出して行く」には妥協点を見つける努力は必要でしょう。
そういう意味で、自分が必ず最後まで責任(予算死守・完遂)を持ってやりきれるという前提に立って、まずは「制約の中で完成させる」ことです。
例えば、大手広告代理店がポスター撮影とかをするわけではないのですからヒト・モノ・カネはナイナイづくし。当然のことながらそこには様々な粗があるはずです。

「粗」については全部終わった後に考えればいいことです。
今回できなかったことは次回やること。
粗を目立たなくするには何ができるか、手段はあるか、その方法は現実的かと考えること。
考える材料を残して次に進めるでいいと思います。
作っている最中に気づいていることもあれば完成後に気づくこと、誰かに指摘されて気づくことがあると思います。
ただ、致命傷でなければそんなものに気を取られて足踏みなんかしててもしょうがないわけです。

だから「計画的な妥協」ができてればいいと思っています。
ヘタに完璧を求めて何も成し遂げられないよりよっぽどもマシです。
このとき重要なのが、単なる手抜きや諦めではなく「先に進めるための決断として適切な妥協」であったかです。
常にそういうことを考えながらやっていれば、成長できると思うし長期的に質の向上もあるでしょう。なにより挫折しなくて済むと思います。
最初の話に戻るんですが「続けるためのモチベーション」です。
粗を恥じたり評価を恐れたりして立ち止まることじゃなく、とにかく現実的な観点から続ける(続く)ことが重要だと思います。
自分で自身を折ってしまわないように折り合いをつけながら、一歩を進めることの方が価値があると考えています。

余談ですが、他者がくだす評価(論評)というのは非常に無責任なものです。
業務委託などで納品するとかであればその評価は顧客満足度なので次の商売に向けて重要なんですが、今回のテーマでは違います。
その評価から励まされたり学ぶことはあると思いますが、何も背景を知らない多くの人が「率直に思ったことを口にしている」だけです。
評価を恐れすぎておかしなことになってしまう人は少なくないですが、そもそも無責任な出発点から出てきていることが大半です。
責任のある評価であれば不足している点の補い方を「事例・答え」として教えてくれるでしょうし、良い点を具体的に「言語化」してくれるはずです。
単なる指摘だけならそれは後付けで無責任に思いつきを言っているだけなので囚われすぎる必要はないでしょう。それで心を削られるならノイズとして斬り捨てた方が賢明です。

また「満足いくものができた」って思えてしまったなら、それは自分自身に妥協したことになるので、むしろ毎回が不満足であったほうがいいんじゃないですかね。
満足し始めるとなんら発見がなくなり学ばなくなります。
学びを忘れてしまうことが最も恐ろしいことじゃないかな、と。

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