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『クララとお日さま』ノート

カズオ・イシグロ 土屋政雄訳
早川書房

 近い将来に訪れるかも知れない人間とAIの出会いと別れの物語。病弱な少女のジョジーと、AF(artificial friend、人工友人)というジャンルの商品で、高度な人工知能を具えたヒューマノイドのクララの出会いの中から生じてくる様々な人間模様や人間の感情、愛情や友情、出会いと別れ。それらの全てを優れた知能による観察能力で瞬時に理解し、データベース化して新しい事態に対応するクララ。そしてそれら人間関係や、様々な出会い、それは人間に限らず自然の風景などの全てを学び、成長していくクララ。最新型のAFではなかったが、常に控えめで豊かな感情と思いやりを持つB2型世代のAFであるクララ。

 読み通してみて分かることだが、クララというAFの成長の物語である。と同時に、人工物の悲哀を感じてしまう。ヒトとは決して等価にはなれないクララの、どういう境遇になろうとも変わらず前向きの感情しか持たないことの素晴らしさと悲しさ、捨てられてもそれを恨むでなく、過去のデータの整理に精を出すクララの健気さは人間にはなかなか真似ができない。

 まだジョジーの家に買われて行く前のこと。お店の中から外を見て日がな、自分を選んでくれる客を待ちながら、いつも外を眺めるのが好きなクララが、ある浮浪者とイヌが道路端で死んでいるのを見つけた(実は死んではいなかったのだが)。ところが翌日、この人とイヌが生き返っているのを見る。お日さまが大好きなクララは、生き返ったのはお日さまの特別の栄養のおかげだと思い込む。そのことがクララの中に素晴らしい奇跡の記憶として刷り込まれ、ジョジーの病気をお日さまの特別な力で何とか欲しいと願う。そこには人工物ではあるが、〝祈り〟にも似た行動の発露がある。
 
 お日さまの特別な力をもらうには、クーティングズ・マシンという大きな騒音と汚染をまき散らす機械を破壊しなくてはならないとクララは思い込んで、ジョジーの父親に頼んで一緒に探してもらう。そして彼の技術者としての腕を頼りに、クララ自身の構造や動作に必要と思われるある液体を一部取り出してもらい、クララはわが身を犠牲にしてこの機械を破壊するのだが、それが何台もあることがわかり、クララは失望する。

 最後のシーンがなんだか悲しいのは、人工物に対しても感情移入する人間の特性からだろうか。クララ自身は決して悲しいとか寂しいとかは思っていないのに……不思議な怖さの湧いてくる近未来小説である。

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