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『無人島のふたり』ノート

山本文緒著
新潮社刊

 友人からこの本を紹介されて、これまで読んだことがなかった作家の作品を、この本を含めて3冊まとめて購入した。

 副題は、〈120日以上生きなくちゃ日記〉。作者はある日、膵臓がんで既にステージ4にあるという唐突な宣告を受ける。

 標準治療である手術や放射線治療には不適応で、残る道の抗がん剤投与を受けたが、著者は肉体的にも精神的にもそれに耐えられず、在宅医療と緩和ケアを選んだ。この日記を書きはじめた2021年5月24日の翌々日にすでに「うまく死ねますように」とさりげなく書いているが、著書のこの日記に一貫して流れている明るい諦観の一言だ。

 最初の病院では余命半年といわれ、抗がん剤が効いたとしても長くて9か月とのことであった。セカンドオピニオンを求めた医師からは余命4か月で、抗がん剤の効き目があっても9か月といわれた。

 翌日には、「私の経験が、彼らや彼らがこれから出会う患者さんの役に少しでも立ちますようにと思った。私、うまく死ねそうです」と書く。

 そして、できればもう一度、自分の本が出版されるのが見たいと思う。それが著者の生きる力になった。

 この日記を書く事も含めて、自分の思いを、病気の今もできるだけ正直な冷静な目で書き付けておきたい、生きた証しとして残したいという著者の思いが伝わってくる。

  筆者はこれまで〝死〟について哲学的あるいは科学的考察を巡らした本や、著名人の絶筆、例えばジャーナリストであった千葉敦子の『死への準備日記』や高見順の詩集『死の淵より』、物理学者・戸塚洋二氏が綴っていた『がんと闘った学者の記録』を読んだことがあるが、この『無人島のふたり』の読後感はこれまで読んだ本とはまったく違っていた。

 極端にいえば、〈こうやって死ぬのもいいな〉と感じたのである。年月を経て、筆者の加齢による考え方の変化によるのかもしれないが、この本を読んで、山本文緒の作品を全部読みたいと思った。

 もちろん、作者はその日の体調によってめげたり、怒りが湧いたり、泣き言を言ったり、何かの間違いではと思ったり、死にたくないという祈りにも似た感情が出ることもあったが、夫の献身的でいて、絶妙な距離感を保った対応に慰められ、癒やされ、一緒に涙を流す。

 またある時は、「こんな日記を書く意味があるんだろうか」と自問自答し、「何も書き残したりせず、潔くこの世を去ればいいのに、ノートにボールペンでちまちま書いてしまうあたりが何というか承認欲求を捨てきれない小者感がある。せめてこれを書くことをお別れの挨拶として許して下さい」と書くのだ。そしてある出版社の編集者が「活字にしたい」と言ってくれて、ほっとする自分がいる。

 そして、「つらい話をここまで読んで下さり、ありがとうございました。病気であろうがなかろうが、読んでくださる方がいたからこそ私は生きてこられたなあと本当に心から思います」、「明日、またお会いしましょう」と書く。

 この文章には、自分が最後まで綴り続けるであろう日記を、近い将来、本として読んでもらえることへの期待と、読者あっての作家であるとの感謝、また生への微かな希望がある。

 そしてこれで、この日記を中締めにしたいと書いている。最後の日付は、2022年10月4日。「今日はここまでとさせてください。明日書けましたら、明日」と書き残した。

 山本文緒は10月13日に永眠――最初にかかった病院で伝えられた余命半年(180日)は、10月18日であった。セカンドオピニオンの時の余命4か月は大きく越えた。

 書名の『無人島のふたり』は、もちろん夫と自分のことで、自分が突然がんと宣告され、まるで「20フィート超えの大波」に襲われ、無人島にふたり流されてしまったような、この世の流れから離れてしまったという思いを表現している。そして、夫だけはこの無人島から生還するのだと考えてしまうのだ。

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