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『下山事件 最後の証言』、『下山事件 暗殺者たちの夏』ノート

柴田哲孝著 ともに祥伝社文庫
2021年4月29日

 いまのJR各社は、以前は日本国有鉄道、その前は鉄道省と呼ばれ、独立した中央省庁の一つであった。その鉄道省は戦後、一時的に運輸省鉄道総局となり、昭和24年6月1日に運輸省から独立して、「日本国有鉄道(略称:国鉄)」という独立採算制の公共事業体となった。その初代総裁となったのが、元運輸次官の下山定則である。後に〝下山事件〟として有名になる戦後最大の謎の忙殺事件の被害者である。
 当時、中央省庁の定員法が定められ、国鉄も例外ではなく、およそ60万人いた職員のうち、9万5千人近くの職員のクビを切らなければならない問題に直面していた。その難題の処理を初代下山総裁が任されていた。
 そのような背景があったため、自殺説や他殺説などその死亡原因が取り沙汰された。
 下山事件は、わが国が連合国の占領下で、日本の行政をマッカーサー元帥が率いるGHQが牛耳っていた1949年(昭和24年)7月5日の朝、下山総裁が出勤途中に行方不明になり、翌6日未明に轢死体で発見された事件である。
 事件発生直後からマスコミでは自殺説・他殺説が入り乱れ、捜査に当たった警視庁でも捜査一課は自殺、捜査二課は他殺で見解が対立し、それぞれ独自に捜査が行われたが、公式の捜査結果を発表することなく捜査本部は解散となり、捜査は打ち切られた。下山事件から約1か月の間に国鉄に関連した三鷹事件、松川事件が相次いで発生し、三事件を合わせて「国鉄三大ミステリー事件」と呼ばれた。下山事件は1964(昭和39)年7月6日に殺人事件としての公訴時効が成立し、未解決事件となった。
 推理作家の松本清張は、『日本の黒い霧』という作品の中で、当時日本を占領下に置いていた連合国軍の中心的存在であるアメリカ陸軍諜報部隊が事件に関わったと推理した。そして下山事件が時効を迎えると、松本清張が中心となって、「下山事件研究会」を発足し、資料の収集と関係者からの聞き取りを行った。同研究会では連合国軍の関与した他殺の可能性を指摘した。研究会の成果は、みすず書房から『資料・下山事件』として出版されている。
 全国紙の中では、朝日新聞と読売新聞が他殺説を報じた。朝日新聞記者の矢田喜美雄は、1973(昭和48)年に、長年の取材の成果を『謀殺・下山事件』に収め、自殺説を否定するとともに取材の過程で「アメリカ軍内の防諜機関に命じられて死体を運んだ」とする人物に行き着いたとして、その人物とのやりとりを記載している。

 さて、『下山事件 最後の証言』は、戦時中は陸軍、戦後はGHQの特務機関員だった著者の祖父が実行犯の一人だったという結論と総裁謀殺に至った背景などを、身内ならではの数々の証拠品と祖父に繋がる企業や組織関係者の証言などで導きだしたルポルタージュである。

 なお、もう一冊の『下山事件 暗殺者たちの夏』は、ノンフィクションでは書けなかった事件のさらに深奥を小説仕立てで書きあげた作品である。
 いずれにしても、戦後の連合国の占領時からつながる主に日米間の人脈とカネ、組織などを巻き込んだ汚職事件など、今に繋がる政治の底流の蠢きが、通奏低音のように流れている作品である。

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