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『紳士の文房具』ノート

板坂元 著
小学館 刊

 少し前の話だが、「サライ」という雑誌に、筆者が長崎時代にお世話になった先輩が経営するグラバー庵という骨董屋のことが出ていた。その店で売っている日本最古のコーヒーマグという記事があり、写真も掲載されていた。

 先週、長崎に行く機会があり、時間を見つけて、いまはその先輩の息子さんが継いでいる骨董屋に寄ると、このマグカップがまだいくつか残っていたので、購入した。その時に、この本をいただいた。
 この本は「サライ」に連載されていた板坂先生のエッセイをまとめたものであるが、この本の最初にこのコーヒーマグのことが書かれていた。
 このマグカップは、長崎の波佐見焼の醤油瓶の筒状の上半分を切って、高台(こうだい)と取っ手を付けて焼いたもので、幕末期に輸出用で作られたものだそうだ。手画きの絵が一つひとつ違う。博物館にも展示されているものだ。

 店主の話では、先代が、古い民家の調度をまるごと買ったら、三個ずつ藁で梱包されたカップが屋根裏から出てきたとのことだった。
 著者によると、長崎に来ていたヨーロッパの商人が注文して作らせたもので、何かの事情で一部が輸出されないまま保存されていたという。
 いくつかのマグカップをみせていただいたが、取っ手が取れたものや高台があとから修復されたものもあった。箱にはたくさんのはずれた取っ手が保管されていた。

 長々と私事を書き連ねてしまった(失礼!)。

 この本には、文房具として、インキ壺やインキ瓶、筆記具や手帖、ナイフやハサミ、豆皿、万年筆、レターオープナー、江戸時代の矢立などの写真とそれにまつわる文章が収められており、また文具とはいえないが、各種アンティーク、栓抜きやカトラリー、灰皿やランプ、ポプリ、家具、古書や古地図など、著者のコレクションが写真付きで取り上げられている。
 
 例えば、〈栓抜き〉の項では、一ページまるごと使ってさまざまな形の栓抜き(ワインオープナー含む)のカラー写真が載っている。栓抜きは実用的には1、2個あればいいのだが、興味を持って集め始めると、いろんな意匠のものがあり、こんな面白いコレクションはない。形も材質も異なり、置き物にでもできそうな芸術作品もある。またゴールドラビットと名前の入った単純な全金属製の王冠用の栓抜きもある。

 私事ついでに書く。筆者の趣味の一つに文鎮集めがあり、あちこち出かけた先で見つけた時に買っている。今回の長崎行きで、「古鏡文鎮」(造幣局製造)というケース入りのものを見つけて購入した。私の机の上には、大学の卒業記念のラテン語が刻まれた文鎮を含め、10個はある。

 読み進めると、著者は長崎に住んでいたことがあることが分かった。母親が長崎生まれだそうだ。
 歌人の斎藤茂吉が長崎医専(現在の長崎大学医学部)の教授をしていたことはこの本で初めて知った。

 日本文学者で文芸評論・文化評論家であった板坂元は10年ほど前に亡くなっている。著者はハーバード大学で24年間にわたり日本語・日本文学を講義しており、在米中に英文日本百科事典の編集長も務めていた。当時ハーバードの学生だった小和田雅子さん(現皇后陛下)が著者のもとで編集作業のアルバイトをしていたそうだ(P39)。

 どの文章も著者の幅広く深い教養に根ざしており、実に含蓄に富む。
 この本は、著者自身の文具などの収集趣味を通じての、大人の教養とエスプリ溢れる秀逸なエッセイ集である。

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