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『蛍と月の真ん中で』ノート



河邉徹著
ポプラ社
 
 
 主人公の大野匠海は東京の写真学科のある大学の3年生、21歳。父親が経営していた写真館が父の突然の死で人手に渡り、その他の事情もあって匠海は実家から逃げるように東京の大学に来た。
 東京での学生生活に充実感を覚えながらも学費や生活費を稼ぐためのアルバイトに明け暮れ、自分を見失っていく。そして父親が昔、長野県辰野で撮影した蛍の写真に引かれるように、辰野にあるほたる童謡公園を訪れる。
 
 ほたる童謡公園では蛍は見つけられなかったが、そこで不思議な女性と出会い、彼女からここの蛍は夏のはじまりにしかいないと告げられる。匠海はその女性に、「あなたは帰らないんですか?」と聞くと、「私ももうすぐ〝月〟にかえるよ」と答えるのだ。
 泊まるあてもなく辰野に来た匠海は、その女性からゲストハウスを紹介され、そこから思わぬ展開で、匠海はおよそ一年、この辰野で暮らすことになる。

 ここ辰野で匠海は多くの人たちと出会うことになる。
「古民家ゲストハウスゆいまーる」の経営者の佳恵さん。素泊まりで3800円のところ、2000円しかないというと、1000円で泊めてくれるという。しかも翌朝、おにぎりを作ってくれた。聞き上手の佳恵さんは、自分のことを話しながら、匠海のこれまでのことを聞き出す。話すことで、匠海は自分が背負っていたもののうち、拳一つ分くらいを預けられた気がするのだ。
 そして、しばらく辰野でゆっくりしたらいいんじゃないかなといい、「何かを極めようと思うなら、それ以外のことをしなさい」と匠海に言う。
 
 さらに彼女は、金井さんという28歳の関西弁の青年を紹介してくれる。空き家バンクで辰野に家を探して、賃貸料月1万円の古民家で今は古着屋をしているそうだ。三人の話しの中で、昨夜公園で会った女性の名前が明里(あかり)ということが分かる。「月に帰ると言っていたので……」と匠海が言うと、二人は大笑いした。明里の母親の菜摘さんが経営しているゲストハウスの名前が「月」だったのだ。

 金井さんが最初に連れて行ってくれたのが「甘酒屋KIYO」。お店を経営しているのは生まれも育ちも辰野の〝純辰野人〟のきよちゃん、25歳。甘酒の新しい味を模索している。匠海が明里と昨夜会ったことから、三人で「月」に行くことにする。金井さんは菜摘さんが少し苦手なようだ。聞くと、畑をほったらかしにしていたから怒られたんだという。
匠海より1歳年下の一ノ瀬明里は、幼い頃東京に暮らしていた。しかし、小児喘息と化学物質過敏症がひどく、転地療養でこの辰野に引っ越してきたという。
 
 明里は匠海に、この街で暮らしてみたらいいよといい、結局成り行きから、金井さんが古着屋を開いている大きな古民家に同居することになる。金井さんは古着屋で食っているわけではなく、冬は長野のスキー場で12月から3月終わりまで季節労働者として働いて、生活費を稼いでいるのだ。その間も金井さんはこの家に住んでいいと言ってくれる。
 
 匠海は辰野の自然の風景や夜空に魅せられ写真を撮り始める。また商品の古着を撮影し、SNSにあげるためにレタッチもする。それで古着の売上げも伸びてくる。また辰野の風景写真を甘酒屋KIYOの店内に飾ったりして風景写真家としての評判を呼ぶ。
 
 冬の満月の夜、匠海は明里に誘われて雪景色と月明かりの写真を取りに行く。その時、明里は、匠海がどうして風景の写真が好きなのかわかったといい、こう言う。
「人生は思い通りに行かないことばかりだよ。でも、匠海はそれを楽しむことができる。だから、匠海は誰かと比べないで、最高の瞬間が訪れるのを待てばいい。風景自体は逃げないでしょ? 自分の人生だって逃げないよ」と。彼はこれまでの考え方の頑なさを指摘され頷くのだ。
 
 ある夜、明里とヒメボタルを撮影しに行った時の写真と、彼が稲刈りを手伝った田んぼの稲架かけされた風景と、満月に照らされた雪景色の写真の3枚が有名な写真展で最優秀賞に選ばれた。いずれも明里が撮影に連れて行ってくれた時の写真であり、明里がいなければ取れない作品であった。それに応募を勧めて手続きをしてくれたのは辰野写真館の藤岡さんだった。
 
 匠海は、辰野で暮らしていろんな人たちとのつながりに助けられて、「ひとり立ち」をしなければという強迫的な呪縛から逃れられた。そして母親とのわだかまりも解消する。
 
〝恋〟という語は出てこないが、人と人の思いが繋がるほのかな青春恋愛小説として読んだ。
 
 ちなみにというか蛇足だが、「ヒメボタル発光頭数と『月の満ち欠けの影響』との関係」という名古屋大学や岐阜大学などの研究チームがまとめた論文がある(検索するとすぐに出てきます)。この論文の結論は、「ヒメボタルの発光頭数は、月の満ち欠けの影響を受け、その年のピーク日が満月に近いほど多く確認できる」というそれまでの考えを覆すものであった

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