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『夜中の電話』ノート


井上麻矢著
集英社文庫
 
 著者の井上麻矢は、放送作家としてデビューし、劇作家・小説家として一時代を築いた井上ひさしの三女で、劇団「こまつ座」の代表兼プロデューサーである。
「こまつ座」は井上ひさしが創設した劇団である。
 肺がんで闘病中の父・井上ひさしからのたっての願いで社長業を引き継いだころから、夜中に父親から電話がかかるようになった。
 この『夜中の電話』は副題に〝父・井上ひさし最後の言葉〟とあるように、井上ひさしが療養中に、それも、「マー君ちょっといいかな。30分だけ。今日はどうでしたか? 疲れていないですか?」という前置きから始まり、30分どころか、その電話は明け方に終わるのはまだいい方で、朝の8時、9時まで続くこともあり、著者は30分の仮眠で出勤する日もあった。
 
 その一つひとつが、父親が命を削って娘に伝えようとした生き方への指針であり、演劇や劇団経営の厳しさであり、自分亡き後の劇団の社長として一人前にしようとする親心、そしてこれからの人生に大きな示唆を与える言葉であった。
 
 時に長時間の電話が療養中の父親の身体にさわると思い、寝た方がいいのではないかという著者の言葉に、「僕は命がけで君に伝えたいことが山ほどあるのに、どうして君は、それをきちんと受け止めてくれないのだ」と怒られたこともあった。そして、「僕が死んだら…と言うとたいていの人は、先生、そんなこと言わないでと泣き出さんばかりだが、君は僕が死んだらと言っても、その後はどうしたらいいですか? と必死に聞いてくれる。泣くわけでもないし、取り乱すわけでもない。今そのことが、僕にとってはどれだけ楽かわからない。泣かれても、その泣いた後、励ます時間など取りたくないんでね。君にこういう話ができることで、どれだけ僕が救われているかわからないよ」という。
 
 父親はいままで生きてきた体験に基づいて、学んだことや感じたことを教えてくれる。とにかく父親は著者に早く教え込まなければならない。時間がない。そこに甘えなど一切入り込む余地はなく、電話が終わると著者の手には血豆ができていた。父親の一言一言をノートに書き留めていたのだ。受話器を当てる左耳は真っ赤になって痛かったという。
 
 臨終の時に、父親との約束通りに、足をさすり続けながら、何も親孝行できなくてごめんね、反抗的な態度ばかりとってごめんねと言い、そしてずっと父親のことが大好きだったと白状した。両親は著者が若い頃に離婚していて、著者の誤解もあり、再婚した父親との確執が長く続いたが、最後の最後に和解ができたのだ。
 
 この本には劇作家、小説家として作品と格闘し続けた井上ひさしの77の遺言のような言葉が取り上げられ、その言葉が発せられた背景が詳しく描かれている。どれも人生の真実を伝えており、普遍的な価値がある。そのことを一つひとつ取り上げることはしないが、一つだけ井上ひさしの創作への基本姿勢を表す言葉を紹介する。
 
〝むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをゆかいに、ゆかいなことをまじめに書くこと。まじめなことをだらしなく、だらしないことをまっすぐに、まっすぐなことをひかえめに、ひかえめなことをわくわくと、わくわくすることをさりげなく、さりげないことをはっきりと〟
 
 これは書斎の机の前に紐でこのメモが吊してあり、他のメモは変わっても、このメモだけはずっと定位置にあったそうだ。
 
 
 私が中学生の頃、白黒テレビでよく観ていた「ひょっこりひょうたん島」の原作者であることは学生時代に井上ひさしの著作を読んで知った。このテーマソングはいまでも歌えるくらい、毎回観ていた。
 

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