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『世界最強の地政学』ノート


奥山真司著
文春新書

 いつ頃からか、地政学に関する本を書店でよく見かけるようになった。新聞の論評記事でも「地政学リスク」という言葉をよく見かける。

 この本は、『世界最強の地政学』という書名でありながら、「地政学は学問ではない」と著者はいう。(P4「はじめに」)
 著者は通途の「地政学」のイメージを否定しつつ、「国家戦略を考える際にベースとなる、地理を重視する知識の寄せ集めや視点、戦略論」(P8)とし、「地理が分かれば国際政治のすべてが分かる」という単純なものではなく、「地理」は戦略論のベースにはなるが、戦略を考える際の主な要素のひとつでしかないという。
 言い換えれば、「地理をベースとした国政政治、外交政策についてのものの見方、考え方」であり、重要なのは、あくまでも「考え方」であって、アカデミックで体系的な「学問」ではないし、「学問」として整理される以前の、「より実践的な知の積み重ね」であり、「国家を率いる指導者や安全保障の担当者たちが、自国の安全や有意の確保を考える上での思考のパターンのひとつ」(P19)にすぎないという。

 そして、著者は、「国際情勢が不安定になってきている今、私はこの地政学という(体系的な学問ではないが)ものの見方は、今後の世界を考える上で一定の有用性がある」(P9)と述べている。

 確かに私たちは、他国の指導者の思考パターンや考え方をつい自分たちの思考形式や行動様式だけで推測し、相手方の思考や行動パターンを決めつけてしまいがちである。さらに交渉にあたっては、相手方の国のこれまでの歴史を学び、その国民性を考慮しつつ多方面にわたる考察が必要である。
 しかし日本列島が赤く塗られ、地図の中心にある世界地図を小学生の頃から見慣れた私たちは、他国の地理的要件をほとんど考慮したことがないのではないかと思われる。ちなみに中国大陸から日本列島を眺めると、まったく違った様相を見せる。中国からみれば日本列島は自国の海洋進出を阻む弧状のバリアのように見えるのだ。

〈0章 「地政学」とは何か〉では、「指導者の頭の中を読み解く」と題して、ランドパワーの代表ともいえるロシアを分析するための重要なキーワードは自国を侵略されることへの「恐怖」であると指摘する。(P26)
 ロシアは、13世紀から250年近くモンゴル帝国に侵攻され、その後もナポレオンのフランスやナチス・ドイツにも攻め込まれ多大な人的・物的被害を被った歴史がある。その恐怖の軽減のために自国の周辺にバッファーゾーン(緩衝地帯=国・地域)を設けようとするのであり、旧ソ連時代の東欧諸国がその典型である。いまのウクライナ侵攻動機のひとつにその考えがあると著者は分析している。

〈1章 世界観〉では、孫子の兵法やアリストテレスの古代の地政学から、地政学を定義したチューレンや、ナチスに影響を与えたハウスホーファー、「海の地政学」の創始者であるマハン、「脅威は内陸から来る」と唱えたマッキンダーのハートランド理論、「海から陸を封じ込める」スパイクマンのリムランド理論について解説している。

〈2章 シーパワーとランドパワー〉では、超大国の性格、例として、プーチンの「地政学的失敗」と中国の「海洋戦略」を分析している。
地政学の「世界観」のなかでも、最も基本的な地理の要素は「海」と「陸」であり、マッキンダーは世界史を、「海」(シーパワー)と「陸」(ランドパワー)との戦いとして捉えている。(P33)

 そしてランドパワー国家の代表ともいえるロシアの南方進出のルートにはバルト海ルート、ヨーロッパ陸ルート、黒海ルート、インド・アフガニスタンルート、シベリア・ウラジオストクルートが伝統的に存在した。しかし、周辺国のNATO加盟やアフガニスタン侵攻の失敗などで、ほとんど使えなくなったことが、クリミア半島占拠やウクライナへの侵攻に繋がり、その遠因はプーチンの世界観の歪みと地政学的失敗にあったと著者は分析している。

 また、同じランドパワー国家・中国の海洋進出は、陸での主な国境紛争が解決している事がその契機となっており、国外からの異民族の脅威に晒されて続けてきた中国が、内陸での脅威を感じない歴史上希有の時期にあたっているからだという。
 そしてその方策のひとつとして、アメリカの経済力などに依存しない中国独自の経済圏を構築する「一帯一路構想」があり、この構想には「路=海路」も含まれていることを指摘している。

〈3章 ルートとチョークポイント〉では、世界を支配できる点と線としての人とモノが動く経路の具体例として、米軍が張り巡らせた「拠点」と、北極海ルートの今後やパラグアイを横切る横断道路の意義、さらには宇宙のチョークポイントとして重要な「ラグランジュ・ポイント」(地球と月の2つの天体の近くで第3の人工衛星などが安定して滞在できる位置)を取り上げている。

〈4章 グランドストラテジー〉では、大英帝国、米国のモンロー主義の意味、中国の「中華帝国」復活の夢、わが国の「富国強兵」と「吉田ドクトリン」、そして地政学的観点から中国にいかに対抗するか、日本なりの方向性を示した安倍外交(地球儀を俯瞰する外交)にまで触れている。

〈5章 バランス・オブ・パワー〉では、ビスマルク体制とその崩壊の事例や、「中国の衰退は喜ぶべきか」という命題について触れている。

〈6章 コントロール〉では、戦争の勝利は〝戦闘における勝利〟ではなく、その後の局面のコントロールができるかどうかにかかっているといい、成功例として、第二次世界大戦後の日本やドイツの復興を挙げている。
 その一方、日中戦争やベトナム戦争、2003年のイラク戦争を失敗例としている。
 イラク戦争で米軍は戦闘の局面では圧倒的な勝利を収め、米軍を主力とする多国籍軍が占領統治を始めた。しかし経済的・人的に多大なコストを投入したにも拘わらず、最終的にはイラク国内をコントロールできず、不安定化を招き、民主化も実現しないまま2011年に完全撤退を余儀なくされたことを挙げている。
 そして、現在進行中のロシア・ウクライナ戦争とイスラエル・ハマス戦争について、〝コントロール〟の観点から見ると、どちらも戦争が終わった後の戦後秩序のありかたが不明確であると指摘する。
 もしロシアが軍事的に有利に戦争を終えたとしても、その後のウクライナやバルト三国をはじめとする近隣諸国との関係が安定化することは望み得ないし、ロシアに対する警戒や拒否反応がより増大することは、フィンランドとスウェーデンがNATOに加盟したことからも明白なのだ。(P188)

 またシーパワー国家とランドパワー国家の行動様式の違いについて、著者は、ランドパワー大国は、〈常に自国を支配者の立場に置き、彼我の力の差を明らかにすることが、もっとも自国にとって安全で、長期的に優位を保つ方策〉と考えて行動するのに対して、シーパワー大国は、〈より持続的に、自分たちが有利になるような環境を作っていこうとする〉とし、地政学の目でその行動様式を観察し分析することが必要だと指摘する。(P102)

 シーパワーの代表は、近現代に限ればイギリス、アメリカであり、ランドパワーの代表はドイツ、ロシア、中国であり、この海と陸の対比は「同盟」と「征服」という外交・軍事上の基本戦略と関わるものとの指摘は、これからの世界戦略の基本となるであろう。ちなみに日本は島国といいながら陸軍重視のランドパワー的な傾向がかつては強かったと分析する。

 著者は、地政学が現在の日本でもてはやされている現状について、複雑な気持ちを持っているという。なぜなら地政学という考え方が脚光を浴びる状況は、国際政治の状況が悪化している時期にほかならないといい、先の読めない不安で緊張が高まった時代だからだ。
 その一方でわが国周辺の大国の戦略の基礎にある「地政学的な考え方」を土台にしなければ何も論じることができないともいう。そして、「このような国際政治のパラドックスを、読者と共有したいというのが本書の執筆動機」だと「あとがき」に書いている。

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