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『朝日新聞の黙示録――歴史的大赤字の内幕』ノート

宝島特別取材班 編
宝島社新書

 学生時代に朝日新聞の世論調査のアルバイトをしたことがある。ちょうど参議院選挙の時期だった。当時、私のひと月の生活費は部屋代を含めて3万円くらいの頃に、1日で交通費別で5千円という破格のバイト代だった。ちなみに、国立大学の学費は今の人は信じられないだろうが月額1千円で、幼稚園より安かった。だから、アルバイトと奨学金でなんとか4年間食いつないで卒業できた。

 世論調査といっても、今のような電話で聞くようなRDD方式ではなく、面談調査だった。まず町役場に行って、〈二段階無作為抽出法〉で調査対象の住民の氏名・住所を選び、そこに調査表を持って、朝日新聞の腕章をして訪ねて回るのだ。
 田舎の町は詳しい地図などはなく、ましてやいまのようなゼンリン地図もないので、5万分の1縮尺の地図を持って、おおよそ見当を付けて家を訪ね歩いた。
 ようやく目的の家を見つけて人がいても、調査対象の人が不在で、「近くの畑に行っているので、そちらに行ってくれ」と言われ、方向を示されて炎天下の野道を歩いて行ったが、人っ子一人いない。30分ほど歩いたからおよそ2・5キロメートルは歩いたと思うが、ようやく調査対象の人を見つけ、話を聞くことができた。それにしても田舎の〝近く〟は遠かった。

 私が担当した町は鉄道の駅前以外は人家もまばらで、調査対象は10軒ほどだったが、とにかく移動が大変で、長崎支局の記者に電話をして事情を話し、自転車を借りるOKが出て、ようやく7軒ほど話が聞けた。あと残り数件のところで19時を回ってしまい、農家の人たちは寝るのが早いので、時間切れで聞けませんでしたと支局に電話をすると、どこか旅館を探して泊まって、また明日の朝から着手せよとのご命令。ところが駅前に行っても旅館は見当たらず、町の外れにあった〇〇旅館という看板を見つけて一泊をお願いすると、一瞬怪訝な顔をされたが幸い部屋は空いていた。

 八畳敷の和室に通され、食事はどうするかと聞かれたので他に食べるところもないので、お願いすると、頼みもしないのにお酒も付いてきた。食事はまあまあ美味しくて(当時は欠食学生だったので保証はできないが)、お酒(もう二十歳を過ぎていたから)を飲んで徳利が空になるとまた持ってくるので、2本で断った。
 食事も終え、いい気持ちでいると、食事やお酒を持ってくる仲居さんが卓についたまま立ち去る素振りを見せない。「もういいですよ」というと、「そうですかぁ」と言い、なかなか席を立たなかったが、「もう寝ますから」というとようやく帰っていった。

 何にも知らなかったが、清算のために領収書を記者に渡すと、ある特殊な旅館だったそうな……。
 調査が二日間にわたったので、1万円のバイト代をもらい、おまけに支局のビルの屋上で、写真を撮られ、参院選の候補者に期待する政策はと聞かれ、それが実名、顔写真入りで10行あまりのベタ記事になった。

 朝日新聞からの連想で、ながながと体験談を書いてしまった。以下本題――。

 当時は朝日新聞と朝日ジャーナルが好きで、カネもないのに新聞の定期購読と2百円以上していた朝日ジャーナルを毎週買って、左翼的論理の新鮮さにかぶれつつ、隅から隅まで貪り読んでいた。
 そんな憧れの朝日新聞の凋落をこの目で見ようとは……。

 カメラマンが自分でサンゴに傷をつけて環境破壊をアピールした1989年の「サンゴ事件」、1991年の「慰安婦報道」の捏造記事事件、その検証記事に謝罪の言葉がなかったことを指摘した池上彰氏の「新聞ななめ読み」コラム封殺事件、2012年の「任天堂社長架空インタビュー事件」、2014年の福島第一原発の元所長の吉田氏(故人)の「吉田調書事件」など、それぞれ事件の性質は違うが、これらの事件への対処も含め、報道機関としての信用を損ねる致命的な失態を犯したことがその原因だ。

 ネット社会の発達で、活字離れが言われ、新聞の購読部数は各紙とも苦戦しているが、なかでも朝日新聞の凋落は顕著である。
 紙の新聞は一覧性の情報源として非常に優れている。宅配制も含め、日本人の民度の向上に大きく貢献してきたと私は思うが、日本の〝クオリティー・ペーパー〟を自認してきた朝日新聞の落日は寂しい限りだ。朝日新聞の記者や元記者の友人も多いので、残念でならない。

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