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『名著の予知能力』ノート

秋満吉彦著
幻冬舎新書刊

 著者は、NHKのEテレで毎週月曜日の22時25分から25分間放映されている番組「100分で名著」のディレクターである。
 筆者もこの本に取り上げられている番組を時々観ているが、読んだことのある本の内容についての思わぬ展開に大いに知的刺激を受けた。
 一冊を4回に分けて放映されており、「100分で名著」というわけだ。

 秋満ディレクターの仕事は、まず予算を確保することから始まり、企画書を作成して採択されたら講師の人選、番組の演出・制作さらには番組テキストの制作までの指揮を執る。

 この本のタイトルは、名著といわれる著作の作者が、「自らの直感を研ぎ澄まし、人間や社会の本質をつかみとろうとあがき続けたからこそ、獲得できた普遍性」にその由来がある。その普遍性というフィルターを通して、「自分がどうあるべきか、社会はどうあるべきかも見えてくるはず」という気づきから『名著の予知能力』と名付けている。「名著は現代を読む教科書である」とも表現している。

 取り上げられている本は31冊(本としては29冊で、あとは個人として2人取り上げられている)。子どもの頃に読んだ本もあれば、学生時代、社会人になって読んだ本もあるが、中には考えもしなかった斬新な捉え方を提示している内容もあり、この番組を視聴して理解が深まった著作もある。ただしこの本の内容は番組の文字での再録ではなく、秋満吉彦ディレクターからみたいわば制作現場の舞台裏の話である。そしてその全体を通して、この『100分で名著』という放映番組の意義が浮き彫りになる。

 1冊目はシェイクスピアの『ハムレット』だ。解説講師として出演したシェイクスピア研究の第一人者である東京大学大学院総合文化研究科の川合祥一郎教授が、司会を務めている伊集院光氏の『ハムレット』のある箇所の解釈に絶句したという。そして、第一人者の河合教授に、「そんな解釈が可能とは思いもよりませんでした。でも、その解釈は『あり』だと思います」と言わしめるのである。
 解説を聞きながらの司会者の気づきの発言が、いわば台本通りの予定調和の進行を破っている。秋満氏はこれこそ放送番組の醍醐味といい、それを「共鳴空間」と表現し、この語りの空間こそが番組の成否を決すると書いている。もしこの対談を出版することになったら、校正者が気を利かせて、あるいは著者が予定調和的に修正する箇所であろう。まさか、〈教授がここで絶句〉なんて書けるはずもない。

 そのほか、マルクスの『資本論』における〈コモン〉の領域の拡大、モンゴメリの『赤毛のアン』に描かれる、異なる価値観や個性を認め合い、尊重することの大事さ、三島由紀夫の『金閣寺』の、「世界を変えるのは認識か、行為か」という、登場人物の間で交わされる議論、アーレントの『全体主義の起源』におけるナチスのアイヒマンの残虐行為に対する認識――「自分の行いの是非についてまったく考慮しない徹底した無思想への糾弾」と「世界最大の悪は、平凡な人間が行う悪」――全体主義への糾弾は、状況としても今に通じるものがある。全体主義については、ほかにもハヴェルの『力なき者たちの力』やオルテガの『大衆の反逆』が取り上げられている。それを現代に敷衍して〈ポスト全体主義〉の今を批判している。

 三木清の『人生論ノート』は、学生時代に筆者も何度も読み返し、いまにも表紙がはずれそうになっているが、その中にこういう文章がある。
「感情は主観的で知性は客観的であるという普通の見解には誤謬がある。むしろその逆が一層真理に近い。感情は多くの場合客観的なもの、社会的なものであり、知性こそ主観的なもの、人格的なものである。」
 若い頃にこの文章を読んだ時、正直言って理解できなかったが、番組の中での岸見一朗氏の解説を読んで、納得がいった。

 このほか、『アルプスの少女ハイジ』では、アニメという二次創作物をみて物語がわかった気になっていたら、その原作の物語の深さとのギャップに驚かされた。もっと複雑な物語なのだ。これは他のアニメや映画にも時々見られる。グリム童話の原作の残酷性と絵本に描かれた子ども向けの物語のギャップに見られるように、よく起こりうることかも知れない。『風の谷のナウシカ』もそうだ。

『第二の性』で有名なボーヴォワールの『老い』――これまで読んだことはなかったが、「老いの現実はこういうものだ。だからどうした? 何が悪い?」という潔い開き直りともとれるボーヴォワールの考え方に共感する。現代の生産性中心主義における生産性の有無などは、生命の尊さにはまったく関係がない思想であり、筆者の年齢もあるが、深く共感した。

 この31冊(29冊+2人)のほかに、終章ではアーヴィング・ジャニスの『集団浅慮』について触れ、例として、「キューバ危機」の時のケネディ大統領のことを取り上げている。
 ケネディが1962年10月に起こったキューバ危機に対処するために設置した国家安全保障会議執行委員会(Executive Committee of the National Security Council/略称:エクスコム)に大統領自身は極力参加しないと宣言する。大統領が参加すると、忖度が発生し、耳障りのいい意見ばかりになってしまうからという。
さらに、「意見を一本化しなくてよい」とケネディは指示をする。理由は、「意思決定集団が同質性に偏るのを回避する」、「意思決定集団が外部から孤立するのを防ぐ」、「忖度を生むようなリーダーシップをふりかざさない」、「最終決断するストレスから、意思決定集団を解放する」ためである。
いまのわが国の為政者に是非心してもらいたい事ばかりだ。
 
 このほか、洋の東西を問わず、私たちが慣れ親しんだ古典から現代までの名著・名作といわれる作品をピックアップしており、名著の選定とその解説者の選定についても、思わぬ展開があり多くの示唆を受けた。

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