見出し画像

『ベスト&ブライテスト』ノート

デイヴィッド・ハルバースタム著(全3巻)
浅野輔訳
サイマル出版会

 ハルバースタムは、ニューヨーク・タイムズの特派員としてベトナム戦争(1964年~1975年)初期にベトナムに派遣され約15ヶ月滞在した。そのレポートはアメリカのベトナム戦争への介入政策を疑問視し反対する論調であり、彼は1964年にベトナムを巡る報道によりピューリッツァー賞を受賞している。自分は良心に従って戦局を客観的に記事にしたが、それはどうしても悲観的にならざるを得なかったと述懐している。また『ベトナムの泥沼から』(邦訳:1987年 みすず書房刊)というハルバースタムの著作が、ベトナム戦争に「泥沼」という形容詞を定着させたといわれている。

 ベトナム介入のきっかけをつくったケネディ大統領と、ケネディ政権の副大統領を務め、ケネディ暗殺後その政策を継いで、トンキン湾事件をきっかけにベトナム戦争に本格的に介入し拡大したリンドン・ジョンソン政権――その政治エリート集団が、多くの国を戦争に巻き込み、あのような愚かな戦争をなぜ10年以上も継続したのかということを、ハルバースタムは多くの資料とインタビューをもとに再構成し、リアルさを際立たせるニュージャーナリズムの手法で執筆している。

〝The Best & The Brightest〟(この本の原題〝最良にして最も聡明〟)であるはずのアメリカの誇るべき英知の人々が、なぜあの残忍で愚劣極まりないベトナム戦争の泥沼へとアメリカを引きずり込んでいったのか。ベトナム戦争はアメリカにとって何を意味していたのか。
 多くの若者の命が奪われたベトナム戦争がアメリカ国民に残したものは虚無感と罪悪感であり、麻薬とPTSDに呪われた帰還兵であった。もちろんアメリカ兵の犠牲者の数十倍ものベトナム人の命が奪われている。

 10数年前にある会でベトナム社会主義共和国の指導的立場の人々と会ったときに、わが国に較べてみな若いことに驚いたことがある。その上の世代は大半が戦死しているのであった。その時、ベトナム戦争の残した傷跡をまざまざと実感した。

 ハルバースタムは、アメリカの権力者がおごり高ぶり、挫折していく過程を丹念に描いている。
〝知性の政治〟を行った人々の問題点として、ワシントンに結集したこれらの「賢者たち」はベトナムの歴史的条件を全く理解せず、自らの偏見に支配され、己の能力を過信し、軍事的・経済的な力だけを信じて史上稀に見る大破壊・大殺戮を行った「愚者たち」なのであった。

 彼らの愚かさにはそれなりの理由があった。
 それは第一に、ベトナムとアメリカの社会を理解していると思い込み、意のままにこれらを操作できると考えていた。
 第二に、彼らは知性と権力とを理想的な形で結びつける現実主義的合理主義者であると自負していた。
 第三に、彼らは自分たちの意のままに軍部を統制することができると考えていた。
 最後にこれが根本的な問題なのだが、彼らは人間的苦悩や道徳的呵責を超越した驕れる人間たちであった。であるが故に北爆(北ベトナムへの通常爆弾やナパーム弾による無差別爆撃)、枯葉剤の環境破壊、人間破壊(ベトちゃん・ドクちゃん)などを引き起こし、その非人道性について一顧だにしなかったのである。
 ちなみに太平洋戦争中、アメリカ軍が日本本土に投下した爆弾の総量は4年間で16万トン、1日当たり110トンであったが、ベトナム戦争(北爆)では10年間で200万トン、1日当たり548トンにものぼった。

 ハルバースタムがベトナム特派員当時に感じ始めたことがあるという。
 それは、米軍の指揮官の姿勢などを見聞きして、我々は間違った側にいるのではないかということ。また、平等という理想は容易に輸出できるものではないこと。しかもその理想の輸出に最も熱心なワシントンの連中が、その理想から最も離れた生き方をしているということであった。

 ハルバースタムを陥れようと、「死体を見て、ハルバースタムは嗚咽した」と言いふらされたこともある。当時のアメリカ国内の風潮では、そう言いふらされることは大いなる侮辱であった。それは事実ではなかったが、もし本当に誰かがベトコン兵士の死体の写真を見せてくれたら、その場で嗚咽できる人間でありたいと思ったと書いている。

 映画『Apocalypse Now』(邦題:『地獄の黙示録』)で、カーツに語らせている言葉――「私を殺す権利はあるが、私を裁く権利はない」――という一言がいまに続く戦争というものの深い闇をよく表している。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?