『普通』の意味を考え直した日
息子は幼い頃から人間が大好きだった。
いつも誰かを笑顔にしたいと
自分自身がニコニコと過ごしていた。
なぜいつもご機嫌なのか?
恥ずかしながら小学校低学年の彼に聞いたことがある。
彼が笑って
『ママ、おれはご機嫌な「フリ」をしてる日もあるんだよ』
と答えて驚いたのを覚えている。
息子は正義感が強く自己主張をキチンとする子で
その性格からよく揉め事を起こしてきた。
そんな息子が小4の頃の出来事。
担任の先生から聞いたことを
ツイッターに呟やいていたので
引用しながら記す。
毎週、水曜日は学校の校庭の4年生が優先的に使用できる日だった。
ニコニコと過ごす彼には、近所に犬猿の仲の同級生がいた。
その子からジャンパー破られて帰宅したり噛まれて血が出て帰宅したり。
会えばいきなり、親(私)がいる前で
死ねだデブだくそだと肩をぶつけてくる。
負けん気の強い息子は、ついその煽りに乗ってしまい
学校から連絡が来ることがたびたびあった。
私は、いつもイライラして誰かしらを馬鹿にするその子が苦手だった。
だから可能な限り、側に行かないようにと諭した。
だけど人間大好きな息子は飛び込んでいく。
それが同級生の目に付き癪に触り、ぶつかってきたり、暴言を吐かれる。
その繰り返し。
その子は気が強く、サッカーが上手なので皆から注目されていた。
満足しているはずなのに、なぜか満たされていない心。
胸に秘めた憤りは誰からも見てとれた。
イライラを息子にぶつけるその子を見て
「羨ましいんだな」と私は思っていた。
ニコニコしている息子の生命がキラキラして見えて
イライラしているんだな。
空虚なんだなと思った。
息子は妬みの対象だった。
4年生の使用権がある水曜日
リーダー格のその子と仲間が
校庭でサッカーをしてた。
サッカーをやりたい息子は
仲間に入れてほしくて
「いーれーて」と声をかけ
体育座りで皆のサッカーを見ていた。
ずっと座り込んでサッカーを見ていた息子に、その子が声をかけた。
「オメーなんでそこにいるんだよ」←同級生
「サッカーしたいから待ってる」←息子
「オメーなんか待ってたって入れねーよ!」←同級生
ここで喧嘩勃発。
元気なく帰宅。様子が変。
そして担任の先生から経緯の説明のお電話をいただく。
喧嘩をふっかけらると乗ってしまう息子を心配して
それまでも電話をくださってた。
電話を切り、息子と対峙。
「ママは嫌いな人には話しかけない。
仲間に入れて欲しいなんて思わない。
なぜY(息子)は嫌いな人とサッカーしようと思うの?」
正直、困り果てていたし悔しかった。
息子が意味もなくバカにされること。
純粋な心を傷つけられること。
そして、だれかれ構わず話しかける性格。
彼の思考が理解できなくて育てにくかった。
何より、可愛い息子が傷付く姿を見るのはキツい。
息子が答える。
「○○(同級生)がオレを嫌いだとかは関係ない。
オレは水曜日に4年生が校庭を使えるという『権利』を持っているんだ。
権利を主張しただけ。
なのになんでお母さんはオレを否定するの」
「普通はね、嫌いな人には話しかけないし、一緒にサッカーをしようなんて考えないんだよ。
権利を主張したってあの子の頭では分かるはずがない。
あの子はただYが嫌いなだけなんだから。
権利の主張なんて…日本ではそんなこと分かってもらえないよ」
と私。
「お母さんの『普通』はオレの『普通』じゃないんだ。
オレは権利を主張しただけなんだ。
お母さんの『普通』をオレに押し付けないでくれ」
そんなこと言って息子は泣いた。
泣きじゃくった。
まだ10歳の彼に、そんな言葉を言わせてしまった。
そうして教えてもらった。
普通の概念は自分の物差しであるということ。
自分の物差しを人に押し付けることで苦しむ人がいるということ。
本当に恥ずかしかったし
悲しかった。
担任の先生に連絡。
先生からは
「よくわかりました。Y君の言う通りですよね。これからも見守っていきます。」
と有難いお言葉をいただいた。
私の「普通」はあなたの「異常」
あなたの「普通」は私の「特殊」
モノの考え方、見方は千差万別。
決して比べること
押し付けることのないように。
みんな違って
みんないい。
息子から教わったこと。
傲慢な私を変えてくれた、約10年前の出来事。感謝している。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?