見出し画像

#7 - [self-cover] 剥製と散歩

セルフカバーの楽曲に差し掛かり、何故か書く手が止まってしまった。
一体何をどこから書いて良いのか?と悩んでしまったからかもしれない。

この楽曲は弾き語りで作った曲で個人的にも非常に気に入っている。しかしライブで歌うにはあまりにも一つ一つの言葉がずっしりとのしかかって来る為、かなりのパワーを要する。自身の経験から来る感情をそのまま綴っているからかもしれない。
楽曲解釈はもちろん受け取った人それぞれで楽しんで頂きたいのだが、この曲を書く元になった経験は「愛する人の知らない一面を見てしまった時、まるでその人が剥製のように思えた」というものだ。楽曲として昇華してみると「愛する人を剥製にして一緒に散歩する」という新たな物語も生まれたように思う。

弾き語りで歌っていてもいつも頭の中にはノイズや重低音が鳴っている。現実と異世界を行ったり来たりしているような感覚に陥ってしまう。
三日天下で演奏することにより、それが具現化出来たように思えた。特にこの畳の部屋で音を鳴らしていた時、気候もちょうどほんのり涼しい風が吹くような気持ちいい時間で、低音ベースから始まる前奏を聴きながら白昼夢を見るように窓の外を横目で見ながら歌ったのを覚えている。

それにしてもこうして、一つの曲を何年もかけて様々な形で披露するのは本当に楽しい。
「剥製と散歩」だけでも、シンプルなピアノ弾き語り、「糸車」収録の前後にノイズエフェクトを入れたバージョン、「三日天下 壱」収録のバンドバージョン、そして畳でのアコースティック、
ほんの少しだけ角度を変えながら多角的にこの物語を眺めているような気持ちになる。

そして最近始めたインスタリールやYoutubeショートで、各楽曲を15~60秒にカットして宣伝投稿しているのだが、この曲がいっっっっちばん難しかった。何をどこで切れば…?なんと時代にそぐわない楽曲なのだ。
しかし、私は時代にそぐう楽曲を優先的に書く為に音楽を始めた訳ではない。

皮肉にも、時代に沿って動画を短くカットしながら、自身の表現の根っこを再認識することになったのである。

三日天下session #7 - [self-cover] 剥製と散歩

「糸車」収録

「三日天下 壱」収録


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?