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テクノロジーに、取って代わられないこと

2015年アカデミー賞作品賞・脚本賞を受賞した映画「スポットライト 世紀のスクープ」を見て、いろいろ考えさせられた。

この映画は、ボストンにある新聞社の実話に基づくストーリーで、実際の「スポットライト」の報道で後にピューリッツア賞も受賞している。

あらすじ一部抜粋(from wikipedia)。

2001年、マサチューセッツ州ボストンの日刊紙『ボストン・グローブ』はマーティ・バロンを新編集長として迎える。バロンは同紙の少数精鋭取材チーム「スポットライト」のウォルター・ロビンソンと会いゲーガン神父の子供への性的虐待事件をチームで調査し記事にするよう持ちかける。チームは進行中の調査を中断し取材に取り掛かる。

ボストン・グローブには1970年からスポットライトという部署はあったようだけど、宗教関係というある意味タブーの事件に着手したのは、マーティン・バロンの存在が大きいと思う。

バロンは、マイアミ出身のユダヤ人。ボストンには、イギリス・イタリアからの移民が多い。彼はよそ・新参者だったので、カソリックがマジョリティという環境も調査対象選定に影響しなかった。あるサイトで生の声を聴いたけど、映画の俳優の声のトーンと同じだった!偶然か?

バロンの経歴を見ると、その後ワシントンポストに移って、ピューリッツア賞を2つ獲得している。これが多いのかわからないけど、立場上、購買者を減らさないために必要なことがなにか方向性が決まっているのかもしれない。つまり調査に基づいた骨太の読み応えのある記事。

アメリカでも新聞社は苦戦していて、縮小や倒産が増えてきているらしい。コンテンツの重要性は今後さらに高まりそう。CTCが増えている中、大手ができることは大事件を狙うこと、個人スケールでは追えないような。

映画の最後にテロップで、性的虐待のあった都市名がでてくる。アメリカ以外ではヨーロッパの都市のほか、フィリピンもでてきてびっくりした。徳川家光の時代、貿易を中国・オランダ(宗教活動なしが条件)と絞ったのが功を奏したのか、Japanはなかった。あるいは、国民性や英語へのハードルか高くてボストン・グローブにコンタクトできなかったのか。。。。

性的虐待は少年だけでなく少女も含まれ、子ども時代にそういった経験をすると、自分を傷づける行為に向かうらしい。相手が相手だけに行き場のない気持ちを自分に向けしまう。ゆえに生き残った者は「サバイバー」と呼ばれる。おとなになっても完全に癒されているわけではないらしく、子ども時代の環境って思いのほか大事と感じた。

この映画は2001~2002年ごろが描かれるので、まだスマホは登場していない。記者がサバイバーの話を聞く際、当然対面だけど、聞き役だった女性記者が途中、あいまいな表現ではなく具体的に言うよう促すシーンがある。それが読者が知りたいことだからと。文字化するのでなるほどと思う一方、人間関係構築中はこういうやりとりって対面であることが大事と思った。




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