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お風呂中って無駄にハッとする

画像はボツにしたラフなのでなーんも関係ないです。
めちゃくちゃどうでもいいことだけど、お風呂中って無駄にメンタルが落ちるんだけどなんでなんだろうね?!
バスソルトとか入浴剤いれてテンション上げようって思っても気がついたら無駄に考え事しては落ち込んでいるということに気がついて考えてたときに思ったことをメモ…

メンタルのあれそれに関わることだから苦手な人はスルーで…


落ち込むということ

思考の癖

多分落ち込むのは無駄に考えを生真面目にするからそのせいもあるし、そう考えやすい癖があるんだと思う。
別にネガティブに捉えなくていいことでも後からたらればを言っちゃえばいくらでもでてくるし、でも現実に視点が行ってないからいくらでも過去の自己嫌悪を繰り返すしネガティブな方向に考えてしまう。それも時間が許す限り自分の自己肯定感を永遠に下げ続けるようなものなんだけど…
過去に戻れるわけでもなく今目の前にある事が今なのに過去のたらればをいくら言った所で何が変わるわけでもなくただ自己憐憫することをアイデンティティに組み込んでしまっているからメンタルに支障が出たのかもしれない。でもそれはいつからか?といえば自覚があるわけでもないから困りもので自覚をしたからできる対策といえばこの癖を治す事で、癖を治すには習慣で、習慣にするには続ける事までは理解はできている。

要するに
・自己嫌悪する癖→思考の癖を見直す→習慣づける

自己肯定感の低さ

結局はここに回帰するんだと思う。
過去をやり直すことができないのも理解した上で自分に価値を見いだせるか?といえばまったく価値がないと思い込んでいるんだと思う。周りがいくらフォローしても自分が変わらない限りは変わらないとも理解はできる。
その価値の自分の中で求めてるものが多分他人にとっては簡単にできるのになんで自分はできないんだろう。という半ば中途半端な完璧主義なんだろう。

答えのない押し問答

存在価値なんて誰のものさしでもはかれない答えのないもので、誰かにとって必要とされることだったり、何か好きなものを好きであることだったり、趣味に没頭することだったり、人の数だけ答えがあって別に誰がどう言おうと生きてる世界自体は変わるわけじゃない。
人生をレールで表したときにレールが外れると例えることがあるけど、まさに多分その外れている現状が怖いんだと思う
でもこれは誰だって怖いと思うし、いきなり何があるかなんて誰だって変わらない事だと思う。自分の力でどうにもできないことなんていっぱいあるのにそれを自分がどうにかできたか?と考える事自体が徒労にすぎないし前向きに次に活かそう!とはならず悶々とするだけにすぎないと自分のネガティブに拍車をかけるものになる、かわいそうな自分が好きだからすることでなく、只々答えがでないことへの自己問答を繰り返しているだけになる、ただ存在価値への執着をすることで思考停止する皮肉な結果になる。

思考の偏り

自分に対する思考の偏りが上に書いたことのようにどんどん蓄積していくと結局生きてていいか悪いかまで極端な白黒思考を持っていると悪いほうにブレると更に自己嫌悪することのループが始まる、しかも悪い形で他人の言葉が届かない所まできてしまう、自己嫌悪に陥る思考回路はこういう形の癖をしているんだと思う。
誰が何をいうでもなく自分が自分を否定しているんだからそれは自傷と変わらないし、衝動的に切ることで安心する人はここで思考停止するんじゃないかなとか思う。
衝動は恐ろしいし、体力があるうちだと本当に今ならもう人生のスイッチ止めよう!って考えちゃう。でももうその体力もないだけだと惰性で生きてるだけ、って消えたいに変わりがち

責任の在り処

自分と向き合うことは怖いし知るのにも体力を使うし自分に価値がないと思い込むことに執着することで半ば思考停止しているんだろうなとただただ思った。
考える事は疲れることだし言語化すると面倒くさがりだし、セルフネグレクトが一番当てはまる言葉かもしれない。
病名がある分簡単に自分はこうだから!とそれを理由にすることもしたくないし、同じ病気でも人それぞれで結局自分のことは自分で理解していくしかない。むしろ病気のせいにしたらそれはそれで思考停止だしなんら変わらない。
結局自己責任という言葉はかなり重いんだけどまさにその通りなんだと思う。

結果

存在価値という答えのないものを考えて過去を見るよりきっと何をしたら自分が楽しいかを考える事を癖にするべきだなあとはつくづく思う。何が好きで何がしたくてへの自己理解はしないくせにネガティブな方向へは自己理解が早いということはつまり楽しいことを考えよう!とする気力が無いのかもしれない、惰性で考えて生きていくとこういう自分の癖に気がつくとたまらなく自分が嫌いになるけれどそれも自分なんだなあと自覚しつつ前向きにも考えられるような人間でいることはとても大事なんだなとなる。
病気があるにせよないにせよただ愚痴ばかりいっていても何も変わらないし嫌な自分を自覚するだけに変わりない。
自分に対する理解がネガティブじゃなくポジティブな方向にいくように習慣をつけるようにするのがせめてできる事につきるな…

自分はこんなに可哀想なんだって発信されるよりも楽しいことを発信したほうがいい、反面SNSには嫉妬も自己正義マンも溢れかえっているから当たり障りのないようにするしかない。
表面上ぐらいはそれでいいなぁと思う。ネットが普及しすぎると普通を擬態するしかうまくやれる方法がなくなるな…と

でも思考を整理するためには言語化もたまには大事だね!!!!

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