ばあちゃんの鮭おにぎり
とおい夏の記憶を手繰り寄せようとしたら、思い浮かんだのは祖父母の家だった。
学校からは20分、自宅からは歩いて10分の場所にある5階建ての古びた団地。階段を一気に駆け上がる。「ただいまぁ」玄関のドアを開けると、ふわっと香ばしい匂いが鼻先に触れた。畳の居間に赤いランドセルをすとんと降ろす。共働きの両親を持つ私にとって、もう一つの帰る家。
肌着とステテコ姿のじいちゃんが時代劇を観ている。台所に立つばあちゃんはいつも沖縄の「花」を口ずさんでいて、泣きなさい、笑いなさい・・・とサビばかり繰り返すから私はそこだけを覚えて、歌の全容を知ったのはもっと大人になってからだった。
テレビがつまらないから、いつも台所をのぞいていた。ジュージューと魚が焼ける音。フライパンには艶のある脂。ぷっくりした紅色の鮭が二尾。ばあちゃんは焼き上がった身を丁寧にほぐし、骨を完全に取ったあと、あったかいご飯と混ぜる。ささっと白ゴマを足す。
手にパラパラと塩をふって、まだ熱いご飯を転がすように握り始める。美しく整えられた三角形。ばあちゃん特製の鮭おにぎりの出来上がり。
じいちゃんは素麺より冷や麦派。ミニトマトと氷が浮く冷たい水にさらされた麺は少し固めに茹でられていて、甘い卵焼きと枝豆がついた食事が定番だった。
みんみんみん、と近くで蝉が存在感を示すように鳴いている。扇風機の風を背中に感じながら「いただきます」って言うのと同じぐらいに、プシュッとビール缶を開ける音が響いた。
じいちゃんが私のコップに注ごうとして、ばあちゃんに叱られると「もうちょっとの辛抱やな」と言った。お酒が飲めるまで、あと10年もあるけれど。二人が小さなグラスをコツンと合わせるのを見ながら、私は麦茶をぐびっと喉に押し込んだ。
いつだってじいちゃんは悪いことばかりしようとする。私がお気に入りのぬいぐるみを忘れて帰ると、取りに戻ったときには必ず油性マジックで太い眉毛が書かれていた。
リカちゃん人形にも、塗り絵の表紙の女の子にも、絶対に太い眉毛が出来ていて、私が泣きながら問い詰めても、じいちゃんは「いひひ」と笑って素知らぬ顔をした。
ばあちゃんの鮭おにぎりは兄も大好物だった。中学生になった兄ちゃんは部活や遊びで全然家に帰ってこなかったから、私はそれがちゃんと余って兄ちゃんに届けられるかどうかいつも心配していた。
何の変哲もないような鮭おにぎり。夏になるとそれが無性に食べたくなって、真似して作ってみるのだけれど、ちっとも再現できない。きっと何か秘密があったのだ。優しいシワシワの手に。
じいちゃんとはビールを飲めなかった。私が19歳のときにこの世を去った。あと一年生きてくれれば一緒にお酒を飲めるはずだった。ばあちゃんから鮭おにぎりを習えなかった。私が28歳のときに大きな病に倒れた。20代は仕事ばかりで料理を習おうなんてこれっぽっちも考えなかった。
あの頃、幾度となくばあちゃんのそばにくっついて、それが作られていくのを見ていたのだから、しっかり覚えておけばよかった。食べられなくなるなんて、気付いていなかった。最後がいつかもわからない。
あの鮭おにぎりを思い出すとき、私の心はじんわりと満ちる。それはたぶん、美味しさの秘密に優しさや温もりが含まれていたから。
これからも時々恋しく思っては、性懲りもなく真似て作るのだろう。きっと一生同じ味には辿り着けなくて、でもその限りは台所に立つばあちゃんの姿といじわるなじいちゃんの笑い顔を忘れないでいられる。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。これからも仲良くしてもらえると嬉しいです。