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岸政彦 『断片的なものの社会学』、『愛と欲望の雑談』を読む

絶対ハマるだろうなという予感しかなかった岸政彦。
雨宮まみとの対談の方で、雨宮が「社会学って嫌いだったけど、岸さんの本を読んで、本当の社会学がわかった」と書いてあるのは激しく共感。人を上から見るように思えちゃう研究者もいるかもしれないけど、社会学ってとっても面白いの!!特に質的調査や人類学の先生方は、生活誌を書くことに主眼があるから皆さん文章力半端ない。岸さんにかぎらず小説家のようよ。
社会学者って本当にいろんな人がいて、学者さんなりに持っている世界の色が激しく違う、だけど、そこまで違うもの同士が一つの学問領域の中にまとまっているというのがすごい懐が広いなあと思うのです。
大学の学部の時は、がっつり社会学で、社会学や人類学(当時は、社会学学科の中に人類学と社会学が共存していたから両方やれた)勉強してると、みんないろんなことを面白がって自分の色を作っているな、いろんな角度から研究対象を眺めることに自由だなって思ったんだけど、今、日本文学の院にいると、すごく窮屈に感じる。近現代は全然そんなことないんだけど、古代、中世あたりはほとんど文献学になるからなのか、ものすごくメインロード的なところで固まっている気がして、学会とかの質疑応答もすごく狭いところで狭いやりとりをしているように思う。(それだけポイントを狙えているものである、という言い方もできると思うけど)
この、なんでもあり、の学問的な面白さっていうのは、やはり社会学の魅力の一つなんだろうなと思うの。
そして、岸さんの「断片的なもの」は、やっぱりとても面白かった。
特に、「時間」と「身体」の話。
近しい人と触れ合うのは好きなのに、満員電車やぎゅうぎゅうの食堂など、他人と身体的に近いことに対する嫌悪感ってすごくわかる。義務教育時代の体育や合唱や学校教育が嫌いだったのは、他者と身体的な動きを揃えることを強制されるからだ、という指摘はものすごく納得した。それが嫌で大人になったもんね。(なので大人にこれを強制する人は絶対仲良くなれない)
そして、時間の感覚。
時間を感じないことが楽しいということ、、、アルバイトって、私すごくすごく苦痛で、拘束されている時間って自分の時間を捨てているようにしか思えなかった。アルバイト終了までの時間を、何回も時計を見ながら確認して、早く過ぎればいいのに、というのが、ものすごくものすごく苦痛だった。そういうことを感じる時間を、私は意図的に選び取らないようにしてきたんだなあということも読んでいるうちにしっくりきて。そして、悲しいかな、今まで男の人と付き合っている時って、アルバイトと同じ時間の流れがそこにあったのだよな。これは、相手が悪かったのか、それとも自分の普遍的な問題か。追求するにも気力と体力のいる問題。

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