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上野千鶴子 『情報生産者になる』 を読む

一年前にこの本にたどり着いてたら、院試もそうだし、職場への研究計画もそうだし、ものすっごく楽できたなーと思いつつあっちゅーまに読了。
論文の書き方指南に惹かれてページをたぐる人が多いだろうけど、自分の頭の中でまだ固まっていないコトバを捻り出す方法を示してくれる本、という方が言い得て妙なんじゃないかしら。これきっと、学生だけでなく、社会人の企画書作成や申請書作成にも役立つ。
高大連携の話や、国語教育の話もいくつか出てきて、共感するものが多かった。小学校から高校までの国語の教科書は、小説に占める割合が多すぎる、ってのは私もずっと思ってたこと。思想や評論、あるいは民族誌系読み物が少なすぎるし、その分野の教材が出て来たら、教員はそれを読み解くためのツール(資本論、記号論、心理学の基本概念など)をも同時に教えるべき。それ専門外なんでっていうのは、もうこれからの時代、国語教員やめたほうがいいよ。この部分に関する知識理解に欠ける国語教員が多すぎるから教えられないだけ。今後国語という教科の価値は「学際的であること(言い換えれば幅広い知識を体系化し自論を展開すること)」に確実になっていくんだし。それに、高校くらいになったら小説の読解ももっとロジカルにやったほうがいい。登場人物の心理理解に偏重しすぎた教え方してるのもいい加減どうかと思うし、そこにたどり着く方法も限定的すぎる。小説というものがどういう風に誕生してきたのか、その作家がどういう時代性や自意識の中でそれを書いたのかということに教える側が興味関心のないままに「この時の気持ちを考えてみましょう」って言われても、厚みのない嘘くさいもんしか出てこないよ。近現代以降の文学史を説明できないのに小説の解説ができるわけが無いじゃんね。「生徒に自分の読みを持たせる」とか「自由に感じさせる」なんてのは、そっから先の話だよ。
よく国語は正解や定式がないからヤダとか、逆にそれがないからいいんだとかいうけど、そんなん両方間違いで、学問であるからには論立てにおける一定の手順があって、それに則った読解の形があるんだよ、ってのが、この本読むとよくわかる。とりあえず国語嫌いな人とか、つまんねって思ってた人ほど納得する部分が多い本ってことは、確か。

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