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誰のために、何のために頑張るの?そのままじゃ本当にいけないの?【ドラマ感想文】

仕事に対するモチベーションを上げたくて、久しぶりに重版出来を見ようかとAmazonプライムで見つけられなかった。ただでさえネガティブの権化なのに、モチベーションが下がっているときなんてさらに拍車がかかっているので、「ドラマすら見られない…。神に見捨てられたんや…。ていうか仕事なんだからモチベーション云々とかじゃなく一定のクオリティでやれや…。」となる私。

そんな中、おすすめ的なカテゴリーで表示された「僕らは奇跡でできている」をなんとなく見始め、一気に見てしまった。私は今このドラマのおかげで、なんとか生き抜く術を模索できている、というか模索することを楽しめている。ちょっと大袈裟だけど、でも見て気づきを得たのは間違いない。

調べてみたところ、2018年10月〜12月に放送されていたらしい。当時見ていたら、この1年の過ごし方違ったんじゃない?なんて思ったりもするけど、結構ストーリーや言葉の捉え方が見るものに委ねられるというか、考えさせるというか、自由度が高い感じなので、もやもやしている今だからこそハマれているのかもしれない、とも思う。

基本的に、大きな事件が起こったり、ドラマチックな展開があるようなものではなく、日々の生活の中での登場人物の心が動く瞬間をとにかく丁寧に見せてくれる。その気になれば無限に新しい発見ができそうな自由さがあるので、一つのことを反芻して楽しむタイプの人には刺さりそうな気がする。

ものすごくざっくりまとめると、主人公の相河一輝は、一般的に常識とされることに囚われず、「興味」や「好き」という軸に従って行動をする。そんな主人公を面白くていいじゃない、それが一輝だからいいじゃない、という人と、どうしてそんなに自由でいられるのか、という人がいる。それぞれの人が主人公に対して抱く感情とその裏側にある気持ちをどんどん紐解いていくような展開。主人公の興味は常に生き物や自然に向いているので、人間以外のものたちから新たな学びを得ることが多く、普通に教養としても面白い。

このドラマは、無駄に自分を卑下しないこと、甘やかすわけではなく、でも肯定すること、物事の捉え方次第で世界が変わること、を教えてくれる。自己肯定感を高めるために日々試行錯誤と前向きトレーニング(笑)をしている私にとっては、このドラマは生きるヒントになるものだった。

例えば、ストーリーの中の大事な要素のひとつとしてウサギとカメの話が出てくる。


ドラマの中で一輝は、「どうしてカメは寝ているウサギに声をかけなかったのか」という点に注目する。結果として、一輝はカメはコツコツ頑張っていてさぼらなくて偉い、ではなく、カメは別に頑張っているわけじゃない、自分で見える地上数センチの景色を見ることがただ楽しくて歩きつづけているだけ、カメの世界にもはやウサギはいない、と解釈をする。そして、ウサギはカメを見下すために走る、と。幼い頃に親しんだ話とは異なる解釈は、よくビジネスマインド的な話でも出てきたりする。ただ、これまで聞いてきたものと少しだけニュアンスが違っていて、個人的にとても腹落ちした。

私自身何をするにも飲み込みが遅い。びっくりするくらい遅い。何かで人並みになろうとしたら多分人生終わる。コツコツ頑張らなければいけない人間だという自覚もあるので、あきらめずにやろうと粘ることも多いが、頑張っていて偉いね、と言われても解せないことが多い。(ひねくれている…。)成長が遅くてもコツコツ頑張っていればいいんだ、とどうしても自分に対しては思えない。瞬発的に結果を出せるウサギがどうしたって羨ましい。だって現実では人生にゴールはないから、仮に私が歩き続けていたとしても、ウサギに抜かされる瞬間の方が圧倒的に多いと思うし、絶対ウサギの成果の方が世の中や人の役に立っていて偉い、と思ってしまう。

成長が遅いだけなのに、カメだからこのまま頑張ればいいんだ、と自分を甘やかしているような気持ちになる。でもこのドラマの中の解釈だと、カメって自分の世界の中だけで生きていて、受け取り方によっては自分勝手とも言える。でも目の前のことをただただ楽しんでいたら、遠くまで来ていた、という話。コツコツがとにかく正義というわけでもなく、ウサギも良いし、カメも良いじゃん、と捉えられる。成長が遅い自分をコツコツ頑張っているから大丈夫、とむりくりに正当化している感が無くなって、私にとっては納得しやすい。勝ち負けを猛烈に意識してゴールにたどり着く人もいれば、周囲を意識せず楽しもうとしてみる方が結局遠くまでいける人もいるのかな、と。

競争が活発になる方がビジネス的にはプラスだから、会社員として生きていくときにはカメのスタンスを維持することは難しいし、環境や周りがそれを許さないことだって多い。ウサギになれないことを責められることもある。それでも、そういう世界の中でカメとして社会に参加するためのベストなバランスを見つける努力をすることは悪くないな、と思う。

というような感じで、あらゆる常識を変えてくれるドラマ。自分で勝手に苦しんでるけど、それ本当に必要なの?苦しんでいるあなたも肯定するけどね、と言ってくれているような感じがする。

そしてもうひとつ、多様な人々が社会を成して生きていく素晴らしさも教えてくれる。

一輝が大学で講義をする際、話が飛躍したり横道に逸れていくことに対して、
事務長は横道に外れすぎ、授業になっていない、よくない!と言い、一輝の上長にあたる教授は話が逸れた方がおもしろいときもあるよね〜、と言う。

一輝は同じことをしても、ふたりに全然違うことを言われる、と戸惑うが、教授は「僕も事務長も学生を思って言っている、という根は同じなんだよ」と言う。

各々が学生のためを考えたときに大事だと思うことを追求した結果、全然違う打ち出しになる、って面白い。こういうことって実は結構ある気がする。

大人になるにつれて、正解がない中で、自分が何を大事だと思ってどこに責任を持つのか考えないといけなくなる。私はもともと、だれにも嫌われたくない、無味無臭でいたいという気持ちが強くて、波風を立てるのが苦手で。でも何もしないということ、何も選ばないということは、結果として大事だと思う人の役にも立てないということを社会人になって知った。

「自分が正しいと思うこと、お客様のためになっていると思うことでも、巡り巡って誰かの不幸に繋がることはある、どこで切り取るかなんだ、お前自身が何を大事にするかなんだ」と尊敬する上司に何度も言われた。こういうことか。

例えば、新卒の就活生がこの事業こそ社会の役に立つ!と思って会社を選び、無事内定を得て入社をする、そこで活躍をするとその人が信じる社会貢献は叶う。一方で、その陰で同じようにその会社に入りたかった人は泣いているかもしれない、ということ。

全方面から嫌われない、そして全員から賛同を得るなんて不可能。
何もかもうまくいっていると思うときなんていうのは、ただただ視野が狭いだけかもしれない。
だからこそ自分が大事にしたいものや人に責任を持つ。
みんなが事務長でも、みんなが教授でもうまくいかない。
いろいろな人がいろいろなポリシーのもとに一生懸命生きることで社会は成り立つ、ということだろうか。

ああ、ドラマの素晴らしさが伝わらないくらい主観ばかりになってしまった。

とにかく、何が良いかというと、考えさせる材料をくれるし、私たちが歳をとるにつれて自分に刷り込んでいる呪いから解き放ってくれるヒントをくれる。
ものすごく大きな展開があるわけじゃない。
最後の最後に誰かの人生が大きく変わるとかそういうものじゃない。
ただ、登場人物が皆、今いる場所で、今の自分を肯定して、前向きになっているということが最高。そして一輝は一輝で、ずーっとそのままなのかというとそうではなく、好きなものに熱中し続けていたところから、好きなもののために好きじゃないことを頑張るようになる、という変化もある。どっちの姿が正解だとかより良いとかじゃない、ただ変化することもしないこともどっちもよくて、他の誰でもない本人がそれ自体を楽しんでいることこそが大切なんだ。


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