2017年の冬。半年間お世話になった就労支援事業所を卒業。短時間のアルバイトを始めることを決め、求人に応募し、面接を受けることになった。何もしていなかった期間が4年あったので、履歴書を書くのがちょっと嫌だった。絶対に何で働いていない期間があるのか聞かれると思ったから。あとは転職回数の多さ。私は病んで仕事を辞めたり、向いてなくて辞めたこともある。躁状態の時には起業するんだ!となってしまい、当時の仕事を辞めて、他に色んな仕事に手を付けては辞めていた。私の経歴はけっこうぐちゃぐちゃだった。

面接当日。やっぱり空いていた期間は何をしていたのか聞かれた。体調を崩してて働けなかったと素直に答えた。何の病気なのかもちろん聞かれた。隠さないほうがいいかなと思い、双極性障害で休職していたことを伝えた。

後日、採用が決まった。週3回短時間から始めることになった。やっと働くことができると思い、とても安心した。ずっと親にお金の負担をかけてしまっていた。だから、全部じゃないけど自分で支払えるようになって嬉しかった。

しかし、ある日手の震えを指摘されてしまった。手を使う仕事だったので、改善しないと仕事に支障が出てしまう…。私のやり方がだめなのかもしれないと思い、色々と教えてもらったが良くならなかった。結局、手の震えが直らないのでクビになってしまった。ここでは半年間働いた。

また仕事を探し始めた。次は昔やったことがある仕事の求人に応募した。経験があるということで何とか採用になった。けれど、10年ブランクがあったので、色んなことが変わっていて覚えるのに苦労した。ここでは正社員としてフルタイムで働いた。拘束時間が長い日やたまに残業もあったけど、休むことなく働くことができた。フルタイムで働けるようになったので、自分にかかるお金は自分で払うことができた。家にお金を入れることもできた。本当に長かった…。2018年になり、私は31才になっていた。2012年、26才の時に双極性障害の躁状態で借金を作り、その後はうつ状態で何もすることができなかった。地獄の4年間から何とか這い上がって、就労支援で訓練して、仕事をまた始めることができた。薬で体調をコントロールできるようになったので、躁状態が出ることもなく、お金を使い過ぎることもなく、元の自分に戻れた。もうお金を使い過ぎるのは怖いので、クレジットカードはなるべく使わず、デビットカードか現金で支払いをしている。今までできなかった貯金も始めることができた。いきなりフルタイムで働くのではなく、徐々に慣らしていったから良かったのかもしれない。薬を一生飲まないといけないけど、薬があるからこそ普通の生活を送ることができている。

私はうつ状態になってしまった日から、ずっとずっと東京に戻りたいと思っていた。そのためにはまずお金を貯める必要があった。お金がある程度貯まってから就活を始め、電話面接や連休を取って東京に面接しに行った。そして、就職先を決めた。親に東京に行きたいと伝え、仕事も見つけたことを言った。だか、もちろん反対された。また同じことになったらどうするの?心配になるのも分かる。けれど、どうしても私は東京に行きたかった。色んなものがあって楽しいし、おしゃれな場所もある東京が好きだった。何度か説得してようやく分かったよと言われた。そして、2019年の1月に上京した。やっと戻れた。この時には33才になる年になっていた。

その後は仕事を何回か変えたけど、1人暮らしが出来ている。今のところ再発もしていない。私の20代後半はうつ状態でなくなってしまった。あの時にしかできないこともあったと思う。双極性障害にならなければ何も失わなかった。そう考えることもたくさんあった。病気を憎んだことも何度もあった。でも、病気になって、心と体が健康で、日常生活が送れること、笑えることは幸せなんだと知った。今はなるべくストレスがかかることはしないようにしている。仕事も自分ができることをやっている。現在、寛解して7年目。双極性障害と上手く付き合って生活してる。副作用もあってたまに大変だけど、安定して暮らせている。双極性障害の症状に振り回された時期は本当にきつかった。あんなに辛いことはもうないんじゃないかなと思う。少しでも多くの人に双極性障害を知ってもらって、早い段階で病院に行くことができる人を増やしたい。多くのものを失う前に止めたい。精神疾患は早く対処することで悪化もしにくい。少しでも多くの人に届きますように…。


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