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私たちはなぜ惹かれあったのか。

庭に敷き詰められている砂利をボーっと眺めていた。
それは“玉砂利”と呼ばれる種類らしく、白や赤、黄色やグレーといった様々な色や模様で、大きさもバラバラの石が無造作に敷き詰められている。
数えきれないほどの大量な石の数だが、全て違った特徴を持っている。
1つ1つの石に個性があるのだ。
そして、その中からお気に入りの石を見つける事もできる。
私は、白の背景に細かな斑点が描かれた石が妙に気になった。
その石は斑点模様がオシャレで、白とグレーの組み合わせが周りの石に比べて大人っぽく見えて私の好みだった。
そうやって無数の石の中からお気に入りを見つけたわけだが、この考えかたは我々人間にも共通している部分を感じた。

これまで生きてきた30年の間に親友や恋人、人生のあらゆるパートナーを私は選んできた。(もしくは選ばれてきた)
学生時代も社会人になってからも人並みに色んな人たちと出会ってきたと思うが、そのたくさんの出会いの中で、自分にとって特別な存在になる人とそうでない人たちがいる。
私は斑点模様がオシャレという理由で、お気に入りの石を選んだわけだが、私にとって特別な人たちにも、特別になった理由がきっとあったのではないだろうか。

そもそも出会いとは、同じ場所に行ったり、同じ趣味があったり、なにかしら同じ選択をした結果の先に発生するものだと思っている。
更にそこから、数少ない特別な存在になるのだ。
これを“惹かれ合った“という奇を衒わない一言で終わらせて良いのだろうか。
私だけでなく、相手にとっても、私が特別である理由があるはずだ。
タイミング良くもうすぐお正月がくる。
10日後に帰省してくる高校からの親友と昔話に花を咲かせながら、その限られた時間の中で自分の感情や意識の変化を観察し、このテーマの答えを出したいと思う。
私たちはなぜ惹かれあったのか。

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