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みかんの家の、その感じ

千葉県銚子市にみかんの家という場所をみんなで作った。未完成の場所という意味で「みかんの家」。名前は中学生が考えてくれた。

「子供の場所、未完成の家、街の隙間」と言っている謎の場所。潰してしまう予定だった廃ビルを、「地域のために」とお借りしている。僕自身は社会を彫刻する作品のつもりでじっくり作らせて頂いている。

なんとなく来られた方は、パン屋さん?クレープ屋さん?カフェ?ハンドメイド?ドライフルーツ?前のお店の看板も残っているし、リノベーションも完全には終わっていない。一般的な感覚では、え?ここは何なの??ってなると思う。
一応、これまでの流れはこんな感じ。


・大家さんである大樹不動産さんから、壁に絵を描いて欲しいと依頼をいただく。
・僕はドイツや鳥取県で空き家を使った交流拠点で暮らしていたので、室内で何かできるかも!と提案する。
・ぜひ、やってみてほしい!と言っていただき、お互いにストレスになったらやめると言う約束で計画がスタートする。
・その時によく一緒に遊んでいたお母ちゃんたちと、子供が来れる場所にしたらどうかという話になる。
・学校に馴染めない子、不登校の子が来れるととても嬉しい。
・子供だけでいてくれてもいいんだけど、大通り沿いだし大人がいた方がいいよねってなる。
・教育や子供に関しては素人だし、大人がいるとボランティアだけで続けるのは大変。
・じゃあ、キッチン作ったらカフェとか色々やりたい大人が来てくれるかな。
・お店とお客様の関係では作れない、お店屋さんごっこ感。
・でも飲食は営業活動になるから、保健所の言う通りにする必要がある。
・衛生やコロナの対応に関して個人の意見はそれぞれでいいけど、営業に関しては個人の自由を通すわけにはいかないからルール作りをしないといけないかな。。
・はてさて未完成の子供の場とは一体!?


何かしたいというお問合せをいただくのは嬉しい一方で、まだまだ型が曖昧で色んな企画が一気にできるわけではない。たくさんの方に応援していただいて、コロナ禍でも少しずつ開けることができているのが奇跡だと思っている。こんな感じなのに、みかんの家みたいな場所をやりたい!と、近隣で場所を始められた方もいらっしゃる。無理なく続けていただけたら本当に嬉しい。

僕は街のど真ん中に隙間状態を作るのが楽しいからやってる。時々、子育て中のお母ちゃんたちに混ざって一体何してるの?と言われる。僕にとっては全く逆で、なぜこれをしないのかがわからない。とはいえ、自分自身が霧の中を進んできた。確実に一歩先は見えているから平気で歩けたけど、見えなければ何してるのかさっぱりなのかもしれない。やっと、何をしているのか少し言葉にできる気がしたので書いてみる。

多分一番の動機は、僕自身が手のかかる子供だったからだと思う。とにかく、ものすごく体の中に入って生きていること自体が窮屈だった。小学校の入学式の日、先生も同級生も悪くないのにこれからの9年間に絶望した。押し入れを閉め切れば酸欠で死ねるかもと思ったこともある。不良をするパワーさえないのに、突然学校の壁に泥を投げまくったり、階段の下に同級生がいるのに瓶を投げて割ったりした。特に悪気もなかったから、なんで怒られたのかわからなかった。今思うと余計怖い。その後は、ゲームばっかりしてた。中学生の頃は、人を轢き殺す車のゲームをした。父の運転する車に乗ると、今だ!轢け!と思うようになって、流石にやばいなと思って、そのゲームはやめた。基本的に疳(カン)の虫が暴れていて、夜は眠れず、朝は起きれない。母は僕を起こすことがトラウマになるくらい、毎日のように喧嘩した。大人にとってはどうして普通のことができないのか不思議だったと思うけど、僕にとってはどうして否応なく窮屈な思いをさせられるのかわからなかった。たまたま床屋さんが同じゲームをしてて、「あれ面白いよね〜」と言ってもらえるだけで、窮屈世界に押し込まれた状態から、一気に世界と繋がった気がした。呼吸ができた。

今、自分が子供だったら何をしていたかわからない。感覚を遮断して生き延びたかもしれないけど、後からそれを取り戻すのはすごく大変。どこかに皺寄せがきて、子供に何か異変が起こると親のせいにされる。耐えられない人がいるのは当たり前だと思う。だから、もしも何かできることがあればと思ってやっているような気がする。とはいえ、みかんの家は素人の集まりだ。肌に合う合わないもあるだろうし、困っている人全員をサポートできるわけでもない。暴れる子を預かれるとは思えないけど、お母さんとお茶して話すことはできる。頼りないけど、一人じゃない。今後もう少し支援機関のパンフレットを置くとか、子育ての本を置いてみたらどうかな、と思っている。今のところ、子育てについて話せる場所であろうとしている、本当に微力な場だ。それでも、みかんの家の繋がりから、不登校の子や学校が苦手な子が支援校の見学に行ったり、通い始めたりしていると聞く。僕も、本人から希望の進路について教えてもらったりした。実際にそういう事が起きているけど、個人的なことだから必要以上に話したりはしない。本人は恥ずかしいと思う必要もなければ、隅っこに追いやられる必要もない。学校に行けないことが悪いんじゃなくて、その子にとって公教育が合わないだけだ。街の真ん中を堂々と歩いて新しいものを探せるのが当たり前だと思う。みかんの家が、そう言う場の一つになるにはどうしたらいいのだろうかと考える。かといって、あからさまな居場所ではなくて、プラスでもマイナスでもない、ニュートラルの状態。言葉にならない体の言葉を、それが何であるかとも言わず横目で見ながら聞く、そんな状態。(はどうかな。。)とにかく、よかったら一緒に迷いましょう。という感じ。僕はこう思って取り組んでいるというだけで、メンバーそれぞれの考えがあるから、また話しながら進めたい。

地域の方にたくさん応援していただいて、だんだんと子供が過ごせる環境になってきつつある。これからも少しずつ居心地の良い状態にしたいと思ってる。まだまだ外装も内装も廃墟の香りが濃ゆいけど、廃墟だったころはモロに廃墟だから違和感はなかった。廃墟では無くなってきているから感じるものだと思う。ネガティブな場を書き換えて、風を通している最中。蛹の中みたいなカオス感だと思う。汚い場所を清めるのは楽じゃない。けど楽しい。小綺麗な子育ての場所にお金を払えば、お客様という立場に守られるから楽だ。一方、完成した場所はもうこれ以上作れない。未完成の場所は永遠に作れる。そこでは多分、いいイメージを持って「大丈夫、なんとかなる」と思うことがエンジンになる。みんなが普通だと思っていることに馴染めなくても、その普通は行き詰まるかもしれない。今、既に行き詰まりを感じている場合、それは可能性だと思う。そういう気持ちが共鳴する場とはどんな場だろう。。。

最近、ついにクレープ屋さんは自分の工房を作り、自販機を始めた。廃棄食材を使った粕カフェ、段ボール工作会、子供自習室、地元企業のプレゼンや田んぼプロジェクトとの協力など、面白いことが続く。自家焙煎のコーヒー屋さん、自家製ドライフルーツ、ハンドメイド作品、バルーン作品が並んだりもしてきた。みかん資金でピアノを移動させて、調律師の友達が調律してくれて、その様子を見た人がご自宅のピアノの調律を依頼されていたりすることがあって、気分の良いドミノ倒しが起きているみたい。この前のカフェの日には、その場で出会ったお子さんとご老人が遊んでいた。僕はその場にいなかったけど、それだよ!って思ってくれる仲間ができた。みかんの家が、「その感じ」の場所として作られつつあることが嬉しい。「はい!地域の世代間交流をしましょう!」っていう白々しい場じゃなくて、普通に起きたことがじんわり嬉しい。未完成で朧げながらも、大きな矢印を垣間見ている気がする。



みかんの家 Instagram
https://www.instagram.com/mikanno.ie/



参考までに・・・。

■活動(遊びに行くと面白いかも!?)
日本の家(ドイツ)
迷宮堂Social Kitchen Onomichi(広島)
UZU HOUSE(ジョージア)
稲荷湯長屋(東京)

■本
都市の〈隙間〉からまちをつくろう/大谷悠
非属の才能/山田 玲司
ハイスクール・ドロップアウト・トラベリング/成瀬望
ナリワイをつくる/伊藤洋志
評価と贈与の経済学/内田樹、岡田斗司夫

■映画
40㎡のフリースペース
(ドイツ・ライプツィヒ「日本の家」のドキュメンタリー)



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