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世界一美しい女富江 ゴシックホラーとシュルレアリスムの狭間で


世界一美しい女

 加虐者であると同時に被虐者。不死にして死すべき運命の者。個にして多の存在。そして、男を惑わし破滅へ導く妖婦。矛盾に揺れ動く世界一美しい女、富江。彼女のことを知っているだろうか。
 
 日本を代表するホラー漫画家、伊藤潤二氏のデビュー作にして今は亡きホラー漫画誌月間ハロウィンにて87年より不定期連載されていた「富江」のヒロインだ。

物語は遺影から始まる


 ヒロインという表現が正しいのかはわからないが、富江は老いも若きも出会う男を狂信的なまでに魅了していく。同級生も教師も養父も義理の息子もたまたま居合わせただけの者までも…そして富江に魅了された男達は狂信的崇拝の末に殺人までも厭わなくなる。その果てに崇拝の見返りを得ることもなく男達は社会的もしくは実質的死をもって破滅する。


僕は破滅だ 

不明瞭かつ普遍的な存在 


 男を惑わし破滅へ導く妖婦である富江だがその正体は決して語られることはない。そして、そのような不明瞭な存在でありながらも学生、養女、義理の母、遭難者、モデルとして肩書を変えながら場面を問わず彼女は日常の身近な場所に現れている。富江はある種、都市伝説的な存在だ。作品「富江」のこうした側面を現代型ゴシックホラーと捉えることができる。
 
 19世紀の英国を中心とする欧米の文学小説より出発したゴシックホラーであるが、従来のゴシックホラーのモチーフは古城や深い森といった日常生活に隣接していながらも得体のしれない不明瞭な場所が主であった。つまり、近いようで遠く容易に全貌を知りえることができない不気味さが恐怖感を煽るのだ。
 
 しかし20世紀に入り産業革命が起こったことにより今まで明かされなかった不明瞭な場所も開発が進み対象その物が無くなるか、または恐れるに足らない物となってしまった。そうした状況の中、ゴシックホラーのモチーフは深海や宇宙といった新たな不明瞭な場所へテーマを移すこととなる。

現代型ゴシックホラーの形態


 第二次世界大戦終結以降、1950年代より軍事戦争の代替として米ソ間で競うように宇宙開発を行うようになる。開発が進むにつれ宇宙も次第に不明瞭な場所では無くなっていき、ゴシックホラーの舞台は我々の身近な場所へと還ってくることとなる。
 
 それは複雑化し一望できない程不明瞭へと入り組んだ我々が生活している都市そのものだ。田舎の狂気や暗部を表す言葉としてヒルビリーゴシックという言葉があるが、田舎も都市もベクトルは違えども暗部を孕んでいる。現代において暗部は常に身近に存在し、目には見えないが我々の隣り合わせに息をひそめているのだ。
 
 都市を題材とした現代型ゴシックホラーを表している映画作品として、クライヴバーカー小説原作のキャンディマン(1992)を挙げたい。キャンディマンとは鏡に向かって5回その名を呼ぶとどこからともなく現れ、右手腕についた鉤で召喚者を惨殺するとされる都市伝説として流布している殺人者のことだ。キャンディマンについて研究をしている大学院生ヘレンは実際に殺人が起きたと噂される場所を訪ねて調べるうちに周囲で不可解な惨殺殺人が起きるようになる。そして彼女はその罪を着せられジャンダルクが如く無実の魔女へと仕立てられていく。

キャンディマン(1992)


 殺人の噂といった都市伝説は社会の持つ不安の表れと捉えることができる。作中でキャンディマンが殺人を行ったとされた場所も貧困層が暮らす治安が悪いマンションでのことであった。貧困層が暮らす治安が悪い土地に対する差別心が目に見て取れない不安という感情を生み出し、噂へと移り変わりゆく。そして噂はまた不安を煽り、いつしかどこで誰が言い出したのか判別がつかない不明瞭な存在即ち都市伝説と成る。貧困や人種に対する差別、また殺人等の犯罪は都市が抱える暗部であり、都市を題材とした現代型ゴシックホラーを表す不明瞭な部分である。
 
 殺人者であるキャンディマンだが、彼は下品な快楽に耽る者として描かれてはいない。その振る舞いは高貴さを漂わせており、口調も仰々しくエレガントな様である。19世紀英国のビクトリア朝時代の貴族をも思わせるキャラクター性は、まるでゴシックホラー小説の執筆が盛んであった時代から蘇ったかのようにさえ思わせる。

キャンディマン


 同年に公開されたブラムストーカー原作でゲイリーオールドマン主演ドラキュラにおいてビクトリア朝の魅力が再発見されたのもゴシックホラーリバイバルの因果を感じざるを得ない。
 

ドラキュラ1992

古典的ゴシックホラーと富江


 前述ではキャンディマンを例に挙げ、富江を現代型ゴシックホラーとしての側面を補強するに至った。次に彼女の妖婦としての要素を拾い上げ古典的ゴシックホラーの側面を紐解いていきたい。富江やキャンディマンが発表されたより約100年前、ゴシックホラー小説の執筆が盛んであったビクトリア朝時代に遡ろう。
 
 1890年に同人誌に掲載、続いて1894年に出版されたアーサーマッケン著のパンの大神は富江と同じく、神出鬼没かつ男を惑わし破滅へ導く妖婦をモチーフとした怪奇小説だ。狂気に取り憑かれているレイモンド博士は自身の若く美しい養女メアリに禁断の脳外科手術を施す。脳の灰白質にメスで微々たる傷をつけることによって物質世界と精神世界のベールを取り去り、人類創造初めて人間が精神の世界に到達することを目論んだ。そして精神世界に君臨するパンの大神なる悪魔に対峙するために…
 
 手術を施された直後、メアリは物質世界をすり抜けパンの大神に対峙するや全身の筋肉が痙攣し絶叫と共に床へ倒れそのまま廃人となった。その時彼女は悪魔の子供を身ごもり、幾許かの時を経て一人の妖婦が世へと産み出されることとなる。そして美しい大人の女性となった妖婦は魔都ロンドンにて一人、また一人と男を惑わし破滅へ導く。しかしその本質は一貫して語られはしない。彼女と関りを持った者は今まで自身が歩んだ人生からはとても言葉を紡げないような恐怖を覚え、理解が及ばない無力さに震えるだけであった。この妖婦の有様はまさしく富江そのものではないだろうか。
 
 古典的ゴシックホラーとはいえど、パンの大神は従来の同ジャンルの作品に比べると革新的な要素が多々含まれていた。その理由として1879年にマイスウェンによって行われた近代脳外科手術の始まりや、1886年に原型が形成されたフロイトによる精神分析学といった人間の身体-精神の分野でのテクノロジーの発達の影響が背景としてうかがえる。

 またテクノロジーの発達が進むと反作用的に人類の原点に立ち返ろうとオカルティズムが蔓延する傾向にある。1882年に英国で設立された心霊現象研究会が取り扱っていたテレパシーといった要素や、ギリシャ神話の牧神であったパンつまりキリスト教社会であった英国における異教の神を題材に取り入れることによりテクノロジーと反テクノロジーの折衷を実現したのが作品パンの大神であった。


パンの牧神


 キリスト教社会において異教の神とは即ち悪魔を意味し、牧神パンもまた同様である。古代イスラエル人の宿敵であったペリシテ人が崇拝していた豊穣の神ダゴンは魚の体を持つ半獣半人であったが、パンもまた羊の体を持つ半獣半人であった。

 

ダゴン


 1947年に狂宴の魔術師アレイスタークロウリーが没した際にも葬儀では魔術的意味合いを込めて牧神パンを賛美する弔辞が述べられた。パンが作中でメアリがパンと交わり妖婦を産み出したことにもキリスト教的観点において重要な意味があるが、ここでは割愛する。
 

シュルレアリスムとしての富江


 妖婦という共通項を通じて古典的ゴシックホラーと富江の関連性について述べたが、シュルレアリスムにおいても妖婦が取り扱われる。また前述のパンの大神や富江の他の要素においても、シュルレアリスムにも見て取れる共通要素が多々存在する。
 
 シュルレアリスムという言葉を分解したときシュル+レアリスムではなく、シュルレアル(超現実)+イスム(主義)に分けることができる。ここにおける超とは現実を超えるという意味ではなく過剰や強度といった意味合いを含んでくる。つまり現実の中に内在し隠れている更に強度な現実=超現実であり、それは時として今まで自分が現実と思っている物とは異なる形で知覚または認知することがある。

 寝て見る夢が近いしい現象であるが、これに則ると現実-超現実の関係性はフロイトの精神分析学でいう意識-無意識の関係性に類似している。またパンの大神における物質世界-精神世界も対ではなく内在するものであり、類似した関係性と捉えることができるのではないか。
 
 パンの大神においてレイモンド博士は脳の灰白質にメスで微々たる傷をつけることにより物質世界-精神世界2つの世界を別つベールを取り去った。シュルレアリスムにおいては1919年にアンドレブルトンの行った自動記述によって現実-超現実2つを別つベールを取り去ろうとした。

 自動記述とは書く内容を予め用意せず、かなりのスピードをもって書いていく実験のことだ。この実験は毎日行い、そしてそのスピードをますます上げていく。そのスピードを上げることにより精神分析学でいう意識の領域から無意識の領域へと突入することとなる。

 しかしこの実験を続ける最中、アンドレブルトンは脳外科手術を施されたメアリのように精神状態に危機をきたしそうになる。完全にベールを取り払うことは2つの世界の均衡を崩し、人を狂気へと誘うのかもしれない。
 
 シュルレアリスムは自動手記における文学作品や詩にだけは収まらず絵画や写真、彫刻、陶芸など手段を選ばない。富江作中における「写真」や「画家」において富江は被写体となった際に魔物の姿を映し出される回がある。


写真に映された富江
絵画に映された富江


 これは芸術を通じて現実として見ている美しい富江のベールを取り去り超現実としての富江の本質を映し出したのではないだろうか。また「屋敷」においては大小様々な大きさの富江の肉体があわさり構成された異形の魔物が現れるが、これも伊藤潤二先生流儀のシュルレアリスムにおけるコラージュ作品としての側面が見受けられる。作中では泉沢月子はこの異形の魔物を富江の本質と表現している。
 

異形の魔物


無意識の根底にある性衝動と破壊


 前述の大小様々な大きさの富江の肉体があわさり構成された異形の魔物であるが、コラージュ作品と捉えたときにその美しき肉体をバラバラにし再構築する創作過程はシュルレアリスムが孕んでいるマルキ・ド・サド由来の破壊衝動を感じざるを得ない。なぜここで悪名高き侯爵の名が出てくるのかを紐解いていきたい。
 
 自動手記に始まりシュルレアリスムの芸術家達(以下シュルレアリスト)はフロイトの精神分析学よりその理論を拝借しており、フロイト自身もそれに気がついおり著作の中でシュルレアリスムをくだらないものと扱き下ろしていた。フロイトの精神分析学の根幹となる理論は性衝動つまりエロスが主であり無意識の領域が源泉であると考えられた。

 エロスは様々な欲求に変換可能な心的エネルギーであり、その対となるのは死の欲動つまりタナトスとされた。タナトスは攻撃欲動ともいわれる。エロスとタナトスはコインの裏と表であり、また愛と憎しみは表裏一体なのだ。
 
 シュルレアリスト達は超現実と類似した立ち位置にある無意識の領域にある性衝動を用いてその芸術作品に反映させ、既存の構造を破壊する社会革命を目論んだ。性衝動を用いたとはいえどもシュルレアリスト達は原初なるアンドロギュロスという古代ギリシャにおける一夫一婦制の神話を信奉し、人生を共にすべく生まれた運命の女性が必ず存在するというロマンスに浸った。しかしながらそのロマンスと同時にエロスを用いた芸術的破壊者であったマルキ・ド・サドもまた先駆者として信奉していた。
 
 富江作中の件のコラージュ的魔物の他にもサド的破壊衝動が顕著に見られるシーンが登場する。それは惑わされた男達が愛ゆえに狂気に陥った末に富江に抱く破壊衝動だ。単なる殺人願望ではなく、あえて破壊衝動と呼びたい。第2話にあたる富江Part2において北山は富江に弄ばれた末にナイフで残殺してしまう。刑事の取り調べに対し北山はただ殺したかった、彼女を見ているとなぜか殺してバラバラにしたくなると吐露した。彼は結局富江をバラバラにすることはできなかった。

なぜか殺してバラバラにしたくて


 また「画家」や「養女」においても富江をバラバラにしようとするシーンが見られ、「復讐」においてもすでに一度バラバラにされていることが示唆されている。富江は男を惑わし破滅させる加虐者であると同時に、苦悶しながら殺されていくサド的破壊衝動の被虐者でもある入子構造となっている。

見ているうちに殺したくなった
なぜこんなことになってしまったのでしょうか


 しかし最終的にサド的破壊衝動を実行した男達も破滅の運命にある。富江を狂うほど愛していた男達がサド的破壊衝動を抱いてしまったのも、エロスとタナトスとして愛が憎しみへと無意識のうちに裏返ったからではないだろうか。

加虐者にして被虐者

捏造されたシュルレアリスム的女性像


 前述のとおり、シュルレアリスト達は原初なるアンドロギュロスの神話を信奉し運命の女性に対する憧れとロマンスに浸っていた。シュルレアリスト集団の中には女性も存在したがその多くは男性であり、いくらロマンス的な愛を語れども男性優位な構造を持っていた。

 シュルレアリスト達は度々女性を芸術の対象としてきたが、出来上がった作品が持つ女性像というのは男性優位な構造によって捏造されたものにしか過ぎないのだ。シュルレアリスムの作品の多くの場合は女性が男性の欲望の受動的な対象として表れているとされている。
 
 ここで伊藤潤二先生と作品「富江」ではなくこの存在としての富江との関係性を考えてみたい。捏造するもなにも富江は伊藤潤二先生が生み出した存在であるが、果たして彼女は男性の欲望の受動的な対象なのだろうか。

 「富江 全」の後書きとして掲載されている「富江と私」を読むととてもそうとは感じられない。伊藤潤二先生は世界で美しいと自身で言い放つ富江に契りを立て、他の作品に登場する女性登場人物を富江より美しく描かないようにしているのだという。

 また、「本物の富江」は漫画よりも数十倍美しいはずだという言葉で後書きを締めくくっている。富江と伊藤潤二先生の関係性はシュルレアリスム的な関係性ではなく、伊藤潤二先生もまた富江に魅せられ惑わされた一人なのであろう。














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