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今日このごろのもやもやを。

ニュースでやっていた、「妻が思う家事分担の割合と夫が思う家事分担の割合に明らかに差が出ていて、夫が思うほど夫は家事をしていない」と。
それは各家庭の状況やどんな二人なのか仕事や生活スタイルによって異なるので、妻のほうが多く家事を担っていると思っている妻がみんながみんな、それを不満に思っているわけではないだろう。
でも、きっと理由としては夫が認識していない名もなき家事が多いことなんだろうなって。

料理をつくるのはいいけど、何より面倒なのがそれを何にするのか考えること。
冷蔵庫の中身やトイレットペーパー等の生活備品の補充をする前に、何が今家にあるのかの把握が必要。
必要なものをネットで買うのは簡単で、宅配ボックスには置けないものたちを在宅で受け取ること。

そういう”家事”として項目に名前もないけれど、そういうひとつひとつにも時間がかかって、みんなに平等に与えられた24時間の一部を占めていく。

普段は別に不満じゃないけど、心が弱っているとたまにイラッともする。同じ金額を家計にいれてはいても、やっぱり家事には料金は発生しないんだなあ、と。
だけど、家事嫌いならお金で家事を買うことはできる。年に1〜2回、ホームクリーニングを頼むとか、食洗機を買うとか、そういうこと。お金で買えるのに、お金が発生しない労働って、不思議。


そして仕事へのやる気とかモチベーションのようなものがまるで無いのはどうしたものか。完全にないというわけではないし、あるにはあるんだけど、なんだかなあ・・・。

価値観についていけないというのは、ある程度大きな離れる理由にはなる気もしていて。割り切れるくらいの距離感なのか、そうでないのかは、きっと所属している企業の規模にもよるんだろうと思うけど。

仕事だからと割り切るか否か。まあ、給与をもらう側である以上は給与を支払う者に従うべきなのが世の常だとは思っている。
だから従えない、従いたくないと思ったらどうにもならないのではないかと。

果たして自分は何がしたかったのか。年末年始の休みの間に考えよう。
とか長期休暇前には言いながら、いつも普通に過ごしてしまうのに忙しくて全然何も変わらずに休暇が明けてしまうという恐怖。
時間ってあってもなくても、自分がやれることって意外と変わらないものなんだなあ。


年齢ってただの記号と思ってもなんだかなんだか、考える。
まだ、なのか、もうなのか。

ここ数年、年に1回だけど、何年も続けて行っているお店がある。それなりにご飯も美味しい居酒屋なんだけど、今年、ふと、”あれ、若くなった?”と思った。店員さんも然り、周囲の客層も然り。
これまでは自分より年上の落ち着いた層のイメージだったんだけど、今年は若さが目立っていた。
それが、本当にお店の客層や店員さんのメンバーが変わっているからであれば良いのだけど、なんとなく、自分が大人になってしまっただけのような気がして少しさみしかった。
そうか、こうやって、段々と世の中に年下が増えていくんだな、と。
それが嫌ってわけではないけど、まだ若いからなんて言葉は絶対に言い訳に使えなくはなっているんだな。

だからこそ思う、何かに挑戦するなら今のうちだと。
挑戦したいことが無くて焦る。焦れば焦るほど今を楽しむ余裕がなくなり、心も弱くなって、いらいらやもやもやが募りがち。

乾燥がちで風邪気味な身体もよくない原因の一つ。
クリスマスまでには完全復活しておこう。

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